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〜OBからの一筆啓上〜怒りをもって立ち上がれ=田中敬吾(元パウリスタ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年6月15日付け

 今回の東日本大地震では、多くの人命が犠牲となり、心から哀悼の言葉を述べたい。
 地震、大津波に加えて東電の福島原発の原子炉破壊に伴う避難者や、農家、酪農家に大きな犠牲者を多数出したことは、不幸に大きな拍車をかけた。
 日本は今こそ国運をかけての復興へ、国民が一体となった団結と情熱、努力が期待されるところである。
 ところで、NHK衛星テレビの震災、津波や原発のニュースを見る限り、東電幹部や原子力安全・保安院の記者会見のもたもたぶり、不透明な説明や答弁ぶりを見て、歯がゆさと怒りが込み上げてくるのを抑えきれなかった。
 また、津波などの被害を想定外の一言で片付けて、「原発安全神話」のスローガンをあっさりと引っ込めている。
 しかも、報告や答弁は現地からあがる報告のみを鵜呑みにして、対岸の火事を眺めているような、人事のような態度には腹が立った。
 それにしても、被爆地帯として住み慣れた家を有無も言わせず、追い立てられて、避難所で寒い夜、毛布一枚で震えて過ごし、食事も生活も不自由な毎日を過ごしている避難者。
 放射能を浴びて丹精した作物を泣く泣く廃棄しなくてはならない農家、酪農家の悲痛な死活問題を原発被害の加害者の東電幹部は、本当に真剣に考えているのだろうか。
 避難者、農家、酪農家は何一つ悪いことはしていない。善良、勤勉な国民たちだ。
 それを悲惨な過酷な境遇に追いやりしている原発を推進した政治家、関連機関の幹部たちは、責任をどう取ろうとしているのだろうか。
 追い立てられて素直に避難所で過酷な生活を強いられている避難者、慈しんで育てた作物や牛乳をむざむざ捨てなければならない農家、酪農家。
 テレビを見る限り、運命のような諦めで従い、過酷な生活に甘んじ、1個の握り飯に涙し、1杯のラーメンに感動している。
 もちろん善意への感謝は当然ながらも、避難や廃棄させられた次元とは全く異なるものだ。
 避難者が寒さに耐えて過ごしているとき、東電の幹部や政治家たちは、広い自宅や社宅で暖かい布団に包まれてのうのうとして休み、暖かい食事を楽しんでいる。
 避難者よ、この不条理さを直視して、今こそ怒りを爆発させるときではないか。今、怒りを爆発する以外、怒りを爆発させるときは一生ない。
 ムシロを押し立ててこれらの幹部たち、政治家の家に押しかけて、引きずり出して過酷な避難所の生活を体験させよ。国会に野菜や牛乳を持参してぶちまけて抗議しよう。
 握り飯に涙して感謝する避難者の行儀よさに「日本人の美徳を見た」というが、感謝は当たり前のことで、特に褒め称えることではないだろう。それよりも不合理な強制に唯々諾々として負け犬のようにおとなしく従う国民性が問題だ。
 真の怒りのないところに正義はない。怒りの原動力で復興への力を推進すべきであろう。
 怒れ避難者たち。


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