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〜OBからの一筆啓上〜住めばパライーゾ=小林大祐(元ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2012年4月12日付け

 「縁がないだろう」。記者時代サンパウロ市に住んでいたとき、そう思っていた土地の筆頭がリオ・グランデ・ド・ノルテ州であった。振り返れば当時、間接的だが、同州と接触したことがある。
 サンパウロ市郊外でありながら北東地方の料理やフォホーが楽しめる施設内の屋台で「リオ・グランデ・ド・ノルテ州の味です」とあった料理を食べたときである。カルネ・ド・ソルとバイォン・デ・ドイスを頂き、その味に閉口した。カーチンガでは人生の彩りを食べ物に求めることが難しい。「自分はこの先ここを訪れることはない。いや、あってはならない」と確信したものだ。 しかし「神様はブラジル人である」ことを忘れていた。イタズラがお好きである。27州で一番長い名前を持ち、州の輪郭はゾウさんの形をしているのにも関わらず小さく目立たない州で暮らす運命を与えられ、3年が経過した。
 一応サッカーのブラジルW杯の開催地の一つに食い込んだ。だが、大手メディアにこの州の話題が取り上げられることはほとんどない。3月末のEPOCA誌の表紙に地元ビーチの写真がドーンと映し出されていたのを目にしたときは額に入れて飾ろうとさえ思った。 州出身の著名人は数少ない。それでも民俗・歴史学の泰斗カマラ・カスクドがいるのが救いだ。長女が課外授業で収集品を見学してきた。その口から「カマラ・カスクド」と発せられたときは感動した。「日本から連れて来て良かった」と初めて思った瞬間だった。「印象に残ったモノは?」と聞くと、彼女はしばらく考えて「うーん、クマの剥製かな」と答えた。
 2012年1月18日付のニッケイ新聞で「ナタル」の文字を見つけたときは小躍りした。しかし記事は悲劇調で、日本移民10家族が入植したナタル近郊ピウン移住地について元入植者が語るものだった。そこは「潅木しかない痩せた土地」で、「入植者300通以上の陳情書を出した」といい、「あまりにひどい状況に今も腸が煮え繰り返る」と訴えている。
 ナタル近郊だったら普通は風光明媚な土地柄だけどなあ。風土はそう変わるものではないしなあ。所在地はよく行く海岸に向かう途中だ。地図を確認するや車を走らせた。
 付近は高級分譲地の建設ラッシュの様相を呈していた。果物市で日本人移住地のことを尋ねた。「この辺ではカーニバルをMATSURIとも言うよ」と知った。他にも残られている方がいらっしゃるかもしれないが、住所の分かった3家族を訪問してみた。使用人やお孫さんしか居合わせておらず昔話は伺えなかったが、いずれもご立派なお宅であった。
 結果的とはいえ、10家族中3家族が広い庭付きの大きな家に暮らされているのであれば、現在の、あるいはこれからの日本の日本人より高い成功率かもしれない。
 「棄民の地」かもしれなかったピウンも、かつて私が「訪れることはない。いや、あってはならない」と思い込んでいたリオ・グランデ・ド・ノルテ州も、いまではパライーゾである。



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