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あふりか丸同船者会=夢、涙、笑いの46日間=51年ぶりに再会祝う=カナダへの再移住者も参加

ニッケイ新聞 2011年5月10日付け

 1960年1月18日にサントス港へ到着した移民船「あふりか丸」の同船者会が7日午後にレストラン「美松」であり、同船者とその友人ら7人が参加した。今回の参加者はみな単独青年として渡伯。カナダからの参加者の姿もあった。ブラジル移住への夢を運んだ46日間の航海の思い出を互いに語り始めると、気持ちは51年前の船上に飛んだ——。

 同船は59年12月2日に家族や単独青年ら50人を乗せて神戸港を出港。4日には横浜に寄港し、計680人が太平洋、パナマ運河を経由してブラジルを目指した。 「陸と船をつなぐテープが切れると、国旗で顔を隠して泣いた」
 神戸から乗船した小池庸夫さん(70、広島出身)は、涙に濡れた家族との別れを思い出す。
 「若すぎて自分の顔が分からないね」と当時の写真を見ながら話すのは同会主催者の宗像克さん(78、福島出身)。「当時は血気盛んな若者。他の単独青年といつも張り合っていたよ」と笑う。
 横浜から乗船した宗像さん達5人は日本力行会で渡伯。時には神戸から乗船してきた青年と喧嘩になったという。
 「皆で船のマドンナを取りあっていたね」と小池さんが話すと「綺麗だった」「俺は一緒に写真を撮ってもらったぞ」とそれぞれが当時の純な気持ちを思い出したよう。
 もちろん、慣れない船上での生活には苦労があった。狭い船室を更にカーテンで仕切るので、プライバシーはなかったという。
 「冬の海は荒れる。時化でスクリューが空転するとそれはもううるさかった」と仁科克己さん(76、静岡出身)は振り返る。「食事中でもお構いなし。鯖の煮物がテーブル端まで滑っていった」と苦笑い。
 悲しい出来事もあった。一度だけ水葬が行われ、日の丸に包まれた棺桶が海に葬送されると、船は旋回し弔意を表した。「狭い船内でストレスが溜まっていたのか。夢半ばだったろうに…」と参加者は故人を偲んだ。
 単調な船の生活を彩ったのは赤道祭。「航海の無事を祈った。本当に楽しかった。神戸の単独青年11人でフラダンスを踊った。海神にまつわる劇には子供達も参加して賑やかだった。確かマドンナが女王役だったかな」と小池さん。
 正月は船上で迎え、鯛のお頭付きが出た。食糧補給のためアメリカへ寄港した際では色々な発見があり、上田喜志郎さん(70、三重出身)は「初めて苺のアイスクリームを食べたがとても美味しかった。戦争に負けたことも頷ける」と冗談交じりに話した。
 後にカナダへ再移住した斎藤秀一さん(群馬出身)は、「当時は野心を持ち、お金を稼ぐことばかり考えていた。しかしバラバラになった皆が今こうして気楽に集まれることが幸せ。また集まりたい」と喜んでいた。

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