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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年6月22日付け

 「自分は日本語ばっかりだが、下の兄弟になるほどポ語になる」。木多喜八郎文協会長の実兄、昭二さんのそんな言葉を聞いて考え込んだ。昭二さんは12人兄弟の長男で84歳、2人目からは当地生れの二世だ。1歳の時に親に連れられて渡伯し、第1アリアンサで育った▼日本語ばかりの昭二さんに対し、一番下の妹(57歳)はポ語ばかりだという。文協の木多会長は戦時中の1944年生れで、6番目だがポ語が中心。「戦中戦後に幼年期を過ごしたから喜八郎は日本語学校に行ってない。ここ4〜5年、文協に関係してから日本語をしゃべるようになってきたが、その前は全然ダメだった」と昭二さんは振り返る▼「黒い兄と白い弟」という表現がある。移民研究で知られる文化人類学者の前山隆の言葉で、日本移民の兄弟は一般的に長男が農業を継ぎ、次男以下はその支えによって都会の大学に入り、医者や弁護士などの良い職業に就く傾向を指している。畑仕事に終始する長男は肌が黒く、都会で事務仕事の弟は白いという意味だ▼木多家の話を聞き、「紅白の兄と黄緑の弟」という言葉が思い浮かんだ。日の丸の「紅白」(日本語)からブラジルの「黄緑旗」(ポ語)という連想だ。親から子供へと世代交代しながら現地に馴染んでいくことは当たり前だが、兄弟の中ですら段階的変化が起きている現実に驚く▼これは、まさに移住という行為が〃民族的実験〃であることの証左だ。兄弟の間で言葉がポ語に変わっていくだけでなく、思考様式やアイデンティティも当地式に変化していく。おそらくこの〃実験〃は日本のデカセギ家族では逆の方向に作用しているに違いない。(深)

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