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先駆者称えて91年目=アルバレス・マッシャード=日本人墓地で招魂祭=約6百人が祈り捧げ

ニッケイ新聞 2011年7月12日付け

 奥ソロカバナ・アルバレス・マッシャード市にある日本人墓地で10日、「第91回招魂祭・先亡者追悼法要」が執り行われた。ア・マッシャード日伯文化体育農事協会(松本一成会長、144家族)主催。奥ソロカバナの日系団体をはじめ、サンパウロ市や南麻州などからゆかりのある人々約600人が訪れ、初期開拓者の苦闘を悼んだ。

 1917年に星名謙一郎と小笠原一族が5千アルケールの土地を購入、旧ブレジョン植民地として売り出したことから同地開拓の歴史が始まる。
 墓地には、小笠原尚衛がサンパウロ州より埋葬許可を受けた19年から、大統領令で埋葬が禁止された42年までに亡くなった784人が眠っている。
 先没者追悼法要は墓地内御堂で午前9時から営まれ、約200人が参拝。汎ソロカバナ日伯連合文化協会の纐纈俊夫会長は追悼の辞で、「多くの嬰児・幼児が多く埋(い)かっており、初期開拓者の苦労が伝わってくる。医者も薬もなく、母親も野良仕事が終われば薪割の重労働。当時を偲び、今の生活に感謝したい」と述べた。
 子供達による献花・献灯、読経が続くなか参拝者は焼香し、先亡者の冥福を祈った。
 「墓地の近くも原始林。今とは風景も全然違いました」と語るのは落合光麿さん(85、佐賀)。16歳の頃、アララクアラ線のモンテアウトから家族で移住した。
 「叔父がイギリス芋栽培で儲けたと聞いてね。当時はソロカバナ線沿いに張り付く様に住んでいました」と往時を思い出していた。

「招魂祭、続けたい」=松本会長、決意新たに

 法要後、旧小学校広場に会場を移し、戦後同地文協が建立した忠魂碑に参拝、配られた御神酒で献杯した。
 「この学校で一緒に学んだ友達を弔いにきました」。プ・プルデンテ市から友人と訪れた山本愛子さん(91、二世)は、入植後3年で建てられた同校で日本語を学んだ。「80年頃に家族の墓は移してしまったけれど、毎年訪れています」と話す。
 招魂祭の開会式には、横山ウーゴ同市副市長、木多喜八郎ブラジル日本文化福祉協会会長らが出席した。
 あいさつで松本会長は、「日本人墓地や旧学校など開拓者が残してくれた財産を後世に残していかなければ。招魂祭もずっと続けていきたい」と強い意志を覗わせた。 同文協婦人部が前日から準備した昼食を楽しんだ後、奉納演芸会が開催され、各団体が約70演目を披露した。
 サンパウロ市在住のア・マッシャード出身者で構成する「友の会」からは今年、33人が訪れた。
 高田フローラさん(76、二世)は妹のイザベラさん(65)と参加。「母と2人の妹が眠っている。土地が痩せ、やむを得ず58年に出たが、友人と会うと故郷が恋しくなる。来年もまた来たい」と笑顔で話した。

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