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イグアス移住地50周年=パラグアイの若い息吹=第8回=国際空港へ15分の好立地=採石場経営する日本人会

ニッケイ新聞 2011年9月10日付け

 サンパウロ市から50周年式典に出席したブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)の慶祝団一行約45人は、式典前日の8月21日に現地入りし、農協経営のスーパーでマカデミア・ナッツ、大豆製品などの買い物を楽しんだ。ラパス農協で生産された日本米「ひとめぼれ」など、サンパウロ市では見ることのない農産物の数々に話が弾んでいた。ブラジルではトウモロコシから作った醤油が中心だが、ここでは日本と同じ大豆だ。
 一行の森本勝一さん(かついち、76、高知)=サンローレンソ・ダ・セーラ在住=は、「この移住地はグアタパラと似ている。日本人相手で外国に来た気がしない」とし、「不耕起栽培は昔『農業と共同』で読んだことあったがブラジルでは広まらなかったな」とふり返った。
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 イグアス移住地は観光地としても有名になりつつある。イグアスの滝を見たついでに寄るという日本からの観光客や視察者が多いという。パ国に空港は二つだけだが、首都アスンシオン以外のもう一つはイグアス移住地から車で15分の場所にある。国際空港に最も近い日系移住地だ。
 国境の町シウダ・デル・エステで買い物を楽しんだ後はモンダウの滝もある。移住地内の農協スーパーでは納豆、味噌、醤油などの日本食材も抱負だし、二口昌己さん(にぐち・まさみ、54、北海道)が経営する豆腐屋もある。親の代から20年も続き、一日50丁という手作り豆腐だ。
 移住地には珍しいラーメン屋まである。「竹下」は土日の昼間のみの営業で、中サイズが1万7千グアラニー。台湾人や中国人まで行列を作る店で「最高2時間半待ち」まであったとか。かつて3軒もあったというので、グルメ移住地でもある。
 またイグアス太鼓工房では南米唯一の刳り抜き胴の本格的和太鼓を製造している。岩手県人子弟が一生懸命にやる「鬼剣舞」、瓶を頭の上に5本、6本とどんどん積み重ねていく現地独特の踊り「ボトルダンス」などの芸能もある。
 日本人会が経営する診療所、リハビリセンター、鶴寿の里という高齢者交流施設、パークゴルフ場、ヤクルト球団で活躍した同移住地出身の岡林洋一投手からの寄付金で造成された野球場、サッカー場、池やプールもあるピクポ公園もある。診療所や日本語学校は万年赤字だが、採石場から上がる収益で補填している。
 建物の土台や道路に敷く玄武岩の砕石をとる採石場は、ざっとみて野球場10個分ぐらいの広さがあり、ダイナマイトで岩盤を砕いてトラックで運び出す作業が延々と続けられている。年間300万ドルくらいの売り上げがあり、100年掘ってもなくならない埋蔵量だという。日本人会が採石場を経営するという話は、ブラジルでは聞いたことがない。
 日系宿泊施設は4軒もある。ペンソン園田(パ国番号595・632・20273、サイト=http://pensono.web.fc2.com/)にはドミトリー、コテージの2種類。ネット環境も快適で、南米を長旅するバックパッカーにとっては、移住地の日本語世界に浸ってゆっくり休める定宿として有名だ。
 最も伝統的なのは福岡旅館(632・20624、nippatvl@telesurf.com.py)で、社長の福岡守さん(61、宮崎)は、「五右衛門風呂もあります。どうぞごゆっくり」と勧める。その他、小林旅館や街道沿いのホテル・イグアスもある。
 活気ある戦後移住地ならではの日本文化環境が充実している。(つづく、深沢正雪記者)

写真=日本人会の多様な施設の資金面を支える採石場

 サンパウロ市からイグアスへの行き方

 サンパウロ市のチエテ・バス・ターミナルからは移住地を縦断する国道7号を通ってアスンシオンまで直通のバスが2本ある。SOLとEXPRESSO・GUARANIだ。午後3時ごろにチエテを出発し、早朝5時ごろに国境エステを通過し、朝6時半ごろに移住地を通る。ちなみにペンソン園田はバスが通る街道からわずか50メートルほどで日本語看板がかかっているのですぐ分かる。
 バス運転手に前もって「Colonia Yguazu(コロニア・イグアス)」「Rota 7, Km 41, Distrito Yguazu」で降りると伝えて置けば、チエテから13時間程度で移住地まで直行できる。帰りも宿泊施設にお願いしておけば、街道でチエテ行きのバスに乗れる。ただし、チケットは移住地では買えないので、チエテで往復分買っておくか、エステまで出て買うしかないので要注意だ。


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