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イグアス移住地50周年=パラグアイの若い息吹=第9回=高い日本語能力持つ子弟=ここ数年も移住者絶えず

ニッケイ新聞 2011年9月13日付け

 「移住地で生まれ育ちました。日本語検定試験2級を持っています」。イグアス移住地にある農協スーパーのレジ係、非日系パラグアイ人のアギレラ・ロレナさん(22)からは、そんな流暢な日本語が聞こえてきた。日語学校に通う非日系なら当たり前のことらしい。ブラジルなら同2級の日本語教師もいる。
 園田祥吾さん(25、二世)によれば、同移住地の日本語学校では日本の国語の教科書を使う。中3卒業時には日本の中2の教科書を終わらせ、ほぼ全員が日本語検定試験2級を取得し、高3卒業時なら1級を持っているというからレベルが高い。「僕が中3を卒業した時、クラス14人中2級を持っていなかったのは2人だけでした」。つまり、日本の同年代とほぼ同じ日語能力を持つ。
 移住地の中には高校まであり、年齢に応じて日語学校に通っている。現地人も自由に通えるから、前述のロレナさんのような人も生まれる。
 鹿児島県人会の慶祝団一行の西名勝利さん(にしな・かつみ、78、東京)は、「みんな日本語がうまくてビックリした。昔はレジストロとかもそうだった。あんなところから息子の嫁がほしいもんだ」との感想をのべた。
 同じく松村滋樹さん(69、鹿児島)は、「昔のブラジルの移住地の子供は方言が強かったが、イグアスは完全な標準語なのでビックリした」という。
 日本語がうまいから訪日就労にいっても重宝される。園田祥吾さんは、「(日語学校の)僕のクラスの上も下も半分以上が日本に行っている」というので比率は高い。その下になると大学への進学率が高まる。以前はエステに国立と私立の大学が一つずつしかなかったが近年増えた。片道40分で移住地から通える。
 『パラグアイ日本人移住70年誌』(07年、パ日本人会連合会)によれば、同移住地の本当の日系人口は932人で、うち「国内在住者744人」とあるから、留学研修を含むとしても差し引き188人の大半はデカセギと推測される。全日系の2割がデカセギしている計算であり、若者層に限ればかなり高い割合になるだろう。
 東日本大震災後に深刻化した不況を受けて、多くのブラジル人が帰伯した。その意外な影響がパラグアイに出ている。園田祥吾さんによれば、「ブラジル人を初めとする多くの外国人が一気に帰国したため、むしろ、日本は人手不足になっていてパラグアイの人はクビになる人があまりいない。引き止められて帰ってこられない状況のようです」という。
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 日本語環境があることは日本の人にとっても魅力に映る。それゆえ、ここ数年でも新規移住者の若者が来る珍しい場所だ。
 例えば、三尺(90センチ)の和太鼓まで製作する「太鼓工房」(澤崎琢磨代表、東京)の澤崎兄弟が02年から移り住む。打ち方指導に熱心で和太鼓グループを組織して各地で公演している。
 元気のある集団地だから芸能が盛んになるのか、芸能が盛んだから元気が出るのか。弓場農場にバレエや音楽があるように、パラナ州でYOSAKIソーランが盛んなように、イグアス移住地にも日本仕込みの本格的な和太鼓が大きな魅力と活気を加えている。
 日会職員の沢村壱番さん(45、高知)も近来者だ。06年9月に移住し、5年目を迎えた。東京の「劇団1980」の俳優として全伯とパ国を公演してまわり、その時にイグアスを訪れ、日本語能力の高さに度肝を抜かれた。「字幕もないのに、みんな泣いてくれて、逆にこっちの方がスゲエと驚いた。ここには日本が残っている、きっと僕でもお役に立てることがある」と移住を決意した。
 日本語学校の高3クラスを受け持ち、高校生主催のカラオケ大会、盆踊り大会の運営にかつての劇団の経験を活かしているという。「ここはすごく良い所。骨を埋める覚悟でいます。ぜひ他のみなさんにもお薦めしたい」という。(つづく、深沢正雪記者)

写真=50周年式典で披露された移住地の魅力の一つ、和太鼓/式典のために連日夜遅くまで準備におわれたイグアス日本人会の事務局のみなさん


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