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南米産業開発青年隊=55周年式典を和やかに=「60周年でも会おう」=全伯、欧州、日本から100人が笑顔で集う

ニッケイ新聞 2011年9月16日付け

 新天地を求め、熱き血潮をたぎらせた青年たちのブラジル移住から55年——。南米産業開発青年隊員協会(盆子原国彦会長、160会員)は13、4日の2日間、パラナ州のリゾートホテルで親睦旅行も兼ね、55周年記念式典を執り行った。サンパウロ、パラナ、ブラジリア、ミナス、日本やポルトガルからも元隊員らが集まり、産業開発青年隊OB会「朝霧会」からは光森徳雄会長、木下正喜副会長も駆けつけ、約100人が集った。

 農家の二、三男を技術者に育成し国の復興に役立てようと、戦後間もなく産業開発青年隊運動が起こった。
 その後海外班が設置され、1956年ウムアラーマ北方セーラ・ドス・ラードスに第1次17人が入植。
 同地に訓練所を設置され、入植した隊員の活動拠点となった。着伯した隊員は326人、農業を始め建設、通信、測量などの分野で活躍した。
 同協会は、移住20年目の76年から、5年おきに式典を行ない、毎年親睦旅行も実施。今回は隊員や親族のみを招き内輪での式典となった。
 13日の朝、ホテルで再開を果たした隊員たちはしっかりと手を握り合い、お互いの健勝ぶりを喜んだ。昼食後、式典が執り行われた。
 大会委員長の本間健さん(1期生、78)が開式の辞で「産業、電源開発に大いに役立てたと自負する」と述べた。続いて両国歌を斉唱、斉藤重雄さん(6期生)の尺八に耳を澄ませながら物故者に黙祷を捧げた。
 盆子原会長(6期生)は、「我々は青年隊魂という強靭な精神力、常に前に進むという好奇心、それをやり遂げる信念をもって生きてきた。それは隊員同士の繋がりが心の安定をもたらしたからこそ」と結束を称えた。
 援協会長の菊地義治さん(5期生)は、「これからも協力、支援し合い日伯両国家、地域社会や家族のために頑張っていこう」と語った。
 吉田茂治元会長(7期生)は隊員たちの成功談を紹介、「我々の成功は、ここにいる奥さんたちのおかげ!」と話し、会場を湧かせた。
 光森会長、木下副会長は「節目となる60周年記念式典への参加を心の糧にしたい」と話し、生長の家の宣教師となった笹島彦栄さん(7期生)や、本大会総括の斉藤信夫さん(11期生以降)も挨拶を述べた。
 最後に片岡高一さん(9期生)の指揮で隊歌を斉唱、藤岡忠三さん(7期生、70)が「60周年もここにいる全員の出席を願う」と閉会の辞を述べ式典の幕を閉じた。
 4期生の牧野行哲さん(73、京都)=ブラガンサ・パウリスタ市=は、「皆で集まって元気を確かめ合うのが一番の楽しみ」と喜んだ。
 来伯2年後に帰国して依頼音信不通となっていた7期生の遠藤譲一さん(73)=千葉県在住=も参加し、「よくここまで頑張ったものだと、皆に尊敬の気持ちが湧いた」と話した。
 また病魔や交通事故により志半ばに亡くなった82人の隊員を悼み、金閣寺隣接の円光寺に建設された慰霊碑の除幕式が17日に行われるとし、その参加も呼びかけた。

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