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県連移民のふるさと巡り=ガウチョの国に友訪ねて=亜国、ウルグアイ編=(6)=在亜日系連合会で歓迎会=「南米日系社会の交流を」

ニッケイ新聞 2011年11月10日付け

 ラ・プラタ在住の坪倉君枝さん(76、鳥取)は、「鉛筆で県庁宛てに手紙を書いたんです。そしたら米子市で見合いをすることになって」と振り返る。そこで夫の広加さんと出会い、鳥取県庁で何組かと合同結婚式を挙げた後、夫と亜国へ渡った。「百姓はしないでいいから日本にいてほしい」と引き止めた父親の反対を、むりやり押し切っての渡航だった。
 「私は四女だったので、わがままに育ったんです。変わり者だって言われていました」と笑う。祖父の兄弟が米国へ渡ったこともあり、海外に憧れがあったという。
 入植して2人で始めた花園。霜が下りることも多く、君枝さんも子供をおんぶしながら仕事に励んだ。「8年目に里帰りしたときには、大喜びで迎えられました」と満面の笑みを見せた。
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 交流会の後ホテルへ戻り、一行は夜ブエノス市内へと出発した。バスは中心地のインデペンデンシア通りにある「在亜日本人会会館」という縦書きの看板が掲げられた会館前に止まった。
 同地の日系団体としては1912年に県人の枠を超えた最初の総合日本人団体「大正会」、16年には「在亜日本人会」の前身、「在亜日本人青年会」が発足した。
 現在、在亜日系社会の代表機関の役を担うのは「社団法人・在亜日系団体連合会」(FANA)だ。加盟団体の活動支援や公的機関との連絡窓口業務を行う。
 1995年に設立され、現在38団体が加盟している。会館は1960年に落成され、太鼓や民謡などの芸能、日本語教育の活動の場として利用されている。
 在亜日系人の7〜8割は沖縄出身だ。今年で設立60周年を迎えた「在亜沖縄県人連合会」はFANA加盟団体で最大規模を誇り、個人会員数は一千人に上る。同会ホームページによると亜国には40近くの沖縄県系の組織が、ブエノスアイレスほかコルドバ州、サンタフェ州などにある。
 その他、61年に設立された「在亜教育連合会」は23校の日本語学校を統括する組織だ。
 FANAによって催された歓迎会で、一行は会館の大サロンで出迎えを受け、亜国側からの参加者とともに出身地域別にテーブルについた。
 挨拶に立った米須清文同連合会会長(62、沖縄県首里)は歓迎の意を表し、「各県人会行事、ゲートボールや太鼓、日本語教師研修会などを通して定期的に南米国間の交流が行なわれているのは喜ばしい」とのべ、「母国におんぶされる形でなく、今後は在南米日系コミュニティのグローバル化を目指して邁進していきましょう」と呼びかけた。本橋団長は「ほとんどの県人が来ている。懐かしい故郷の話もあると思うので、ぜひ交流を深めてください」と返した。
 同会国際交流担当理事の一色田眸さん(70、三重)が乾杯の音頭を取り、「県人会単位で交流は盛んだが、このような大規模な交流は初めて。今後も継続して交流が続けられたら」と期待を寄せた。
 近畿地方出身者のテーブルにいた荒木滋高さん(79、三重)=ブラジリア在住=は55年にコチア青年として来伯、今年で伯国在住56年目。 同郷の一色田さんや亜国唯一の邦字紙「らぷらた報知」の元編集長、高木一臣さん(86、三重)らと写真を撮りながら、歓談を楽しんでいた。高木さんは「アルゼンチンでも、日本語が読める人は少なくなってきている。話すことはできても読めないんです」と漏らした。(つづく、田中詩穂記者)

写真=交流を祝い乾杯する一同。サロンには伯国と亜国の国旗を表す飾りが

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