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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年11月30日付け

 移民にとってハワイとブラジルは意外と関係が深い。1868年の日本初の移民〃元年者〃の行き先がハワイであり、1898年に米国に合併されるまで同地は独立国だった。その11年前、1879年に明治政府が実施した「琉球処分」で琉球王朝は消滅し、沖縄県と名前を変えた。ハワイと沖縄は太平洋の近代化の過程で独立を失った▼水野龍の皇国植民会社の移民送り出し先は元々、ハワイ等が中心だった。当時の移民の実態は奴隷労働に近く、多くの移民会社が渡航費で暴利を貪っていた。それに憤った水野は「適正な値段で送る」ことを志したという。そんなハワイ移民の中には後に当地で大仕事を成し遂げた人物もいた。星名謙一郎だ▼星名はブラジル最初の邦字紙週刊『南米』を1916年に刊行した。彼は渡伯する20年ほど前、実はハワイにいた。前山隆の『三浦鑿の生涯』(お茶の水書房)によれば、1895年頃から邦字紙『日本週報』の経営に関わっていた。当時ハワイでは邦字紙が30紙も乱立していた。そんな星名だからこそ当地最初の邦字紙が発行できた▼ハワイ、米本土まで星名と一緒だった妻子は、ブラジルに渡航する前に帰国していた。当地では娘ほどの年のお玉と同棲していた。1925年11月にアルバレス・マッシャードで、土地問題でもめるブラジル人が星名とお玉の住む板小屋を襲撃し、銃弾が壁を射抜くなか、応射した星名の弾丸が不幸にもお玉に当たった・・・▼その一周忌の直後、26年12月、星名自身が駅頭で銃弾に倒れる悲劇となった。日本に戻った妻は、星名の母校同志社の女子部で教鞭を執り、息子は後に同志社の学長にまでなった。(深)

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