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イビウナ庵便り=中村勉の時事随筆=2012年1月2日=科学的政治判断

ニッケイ新聞 2012年1月3日付け

 フクシマは、様々な教訓を残して2011年から2012年へ越年した。事故発生当初、多くの専門家がメルト・ダウンは起りえないとか、チェルノブイリのようなことにならないと言っていたが、間違いだった。原発安全神話は、原発推進派が巧みに作り上げたものだったが、神話擁護の為に「想定外」という言い訳が多用された。
 想定外とは、畢竟「知らなかった」ということだ。自分達は、知らないことがあったにも拘わらず、安全安全と自分を騙し、他人をだまして、原発を推進してきたことを計らず漏らすことになった。時の経過にともない様々な事実が明らかになってきた。専門家も、恥ずかしくて「想定外」と言う言葉を慎みだし、今や禁句になったようだ。想定できないことが多々あることを認めたのだ。
 追い詰められた関係専門家達は「政治判断だった」と告白しだした。即ち、安全が疑問視される度に、或はコスト高を理由に、或は低い確率を強調して、科学者達は政治的判断をして、夢のエネルギーである原発を推進してきた。その結果、米・ソ・日ともに事故を起こした(スリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマ)。「電力の安定供給」という大義名分があって、科学的政治判断が生まれた。その瞬間、彼等は科学者の良心に麻酔薬を注射し、科学者であることを放棄した、と言えるだろう。
 科学者であろうが素人であろうが、確認しておかねばならぬことがある。それは我々人間が知っていること(知の領域)と知らないこと(未知の領域)の間には、[知の領域<未知の領域]という不等式がある、ということだ。これを忘れると、例えば「原発安全神話」のようなものが産出される。宗教的狂信者と何ら変わらない。「神を信じること」と「神になること」とは全く別次元の話だ。
 3・11の残した最大の教訓は「科学の進歩とは未知の領域への挑戦であり、人は神にあらず」ということだった、と思う。正しい知識とは、未知の広がりを認めることから始まる。これまでの10倍の保険料を払えば(電力消費者に負担させれば)済む問題でもない。低放射能(基準値以下)地域でガンの発生率が高いことが米・ソで問題となっている。放射能除染の結果出てくるゴミを持ち込む場所(最終的保管場所は勿論、中間的保管場所も)の引き受け手はない。結局、政府は高レベル放射能汚染地帯に中間的保管所を求め、受け入れを懇請している。
 想定域を広げることは可能でも、想定外のリスクに対処できる科学はない。あるのは、科学的政治判断だけだ。さあ、どうする? これが新年の課題だ。謹賀新年。

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