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特別寄稿=望郷阿呆列車=ニッケイ新聞OB会員 吉田尚則=(13)=日本人が小粒に

ニッケイ新聞 2012年2月3日付け

 さきほどから、東京駅で新幹線ホームの雑踏をみている。強い地鳴りのような音がし、話し声がかき消されるほどだ。
 ひっきりなしに列車に乗ったり降りたり、あるいは乗車待ちの大勢の老若男女。石原慎太郎東京都知事が思わず口走ったであろう、我欲を募らせた挙句に天災という名の天罰が下った人々—。
 『新・堕落論』(新潮社刊)で同氏は、根本的な反省に立って改造し直さなければ「この国は津波が去った後の瓦礫のまま朽ち果てよう」とも警告している。「天罰」は暴言だが、作家としての批評には聞くべきことが多い。
 日本人の「堕落」を憂える識者はこのところ増えており、大手書店をのぞくと日本人論に関する書籍がずらり並んでいる。
 大ベストセラー『国家の品格』を著した数学者の藤原正彦氏は、近著『日本人の誇り』(文藝春秋社刊)で「年次改革要望書」なるアメリカの露骨な対日内政干渉を批判しつつ、「自らの国を自分で守ることもできず他国にすがっているような国は、当然ながら半人前として他国の侮りを受け—」と、日本を取り巻く極東諸国からの「侮り」に切歯扼腕する。
 歯に衣着せぬ社会時評で知られる文芸評論家の福田和也慶大教授は著書『人間の器量』(新潮社刊)で、数多の例証を示しながら日本人がすっかり小粒になってしまったことを指摘した。
 人格を陶冶し心魂を鍛えるということを埒外に置いた戦後教育からは当然、器量の大きな人物は輩出されないのだと嘆いている。
 司馬遼太郎氏がかつて語っていたが、日本人はこれから、こじんまりとした北欧型の福祉国家を目指すのかもしれない。だとすれば、民族として盛りの時代はも早や過ぎて老熟期に入っているのではないか。
 自分は死なないのだと根拠なく信じ込む青年期のような国ブラジルに住んでいると、人生のリスクは是が非でも避けたいとする日本人の精神の年老いた心根がいっそう透けて見えるのである。
 東京駅発午後1時28分の新青森駅行き東北新幹線はやて169号が発車する前から、「望郷阿呆列車」は脱線しっぱなしであった。50分弱の乗り換え時間を利用して駅弁を仕入れた後、することもなくホームで人間模様を眺めていたのだ。
 列車が動き始めると、わたしは遅めの弁当を開いた。即物的な名称ながらこの「東京弁当」、都内の老舗数店の料理を盛り付けた幕の内系で、少々値が張るが味は大いにいける。これまで食べてきた駅弁の中ではトップクラスだろう。
 値といえば、東京には限定販売で3800円もする2段重ねの「極付弁当」という逸品があり、さらに東武線日光駅では、「日光埋蔵金弁当」なる15万4千円もの驚くべき価格の弁当を予約販売しているそうだ。もちろん1人前なのだが、名匠の日光彫を施した重箱が高いのだと、駅弁大全にはある。
 列車はやがて福島県から宮城県へと、東日本大震災の被災地圏内に入ってゆく。
 「望郷阿呆列車」の出発前、田舎の旧友らに誘われて青森県の海岸部をドライブした際、もう少し南部の被災地にも足を延ばそうとしたので、わたしは強く固辞したことを思い出した。
 地震や津波の難を逃れても、かけがいのない人々を失って今も深い苦悩にある人は少なくないはずだ。被災地でもし彼らと会った時、わたしは多分言葉を失うだろう。 最近では震災ボランティアとかで瓦礫撤去の手伝いを軽くした後、近くの温泉で1泊というツアーまであると聞いた。この人たちの精神構造を疑ってしまう。
 東北新幹線では右側座席を指定していたので、車窓はるか遠方に広がっているはずの被災地に向かい、しばらく黙祷の姿勢をとった。



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