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胸に刻まれたあの日=3・11一周忌法要=「忘れてはいけない」=700人余りが思い新たに

ニッケイ新聞 2012年3月13日付け

 昨年3月11日に発生した東日本大震災からちょうど丸一年にあたる11日午後2時から、日系5団体とブラジル仏教連合会、被災した6県人会が合同で「東日本大震災犠牲者一周忌追悼法要並びに復興祈願」を文協大講堂で挙行した。日系団体代表はじめ被災関係者、一般来場者ら約700人が集まり、改めて犠牲者の冥福を祈った。被災地の復興を願い記念の餅も800個用意され、出席者に配られた。震災遺児を支援する団体「プロジェクトいのち」の子供達が舞台で合唱、被災地の様子を記録した映像が上映されると、沈痛な面持ちで目頭をおさえる来場者もみられた。

 震災が発生した午後2時46分、黙祷が捧げられた。仏教婦人連盟によるコーラスの後、法要委員長として壇上に立った文協の木多喜八郎会長は「被災地の人々が安心して暮らせるまでにはまだ時間がかかる。これからも長い支援を続け、日本が明るく蘇ることを祈ります」と挨拶した。
 導師を務めたブラジル本門仏立宗のコレイア教伯さんは震災4カ月後に被災地の小学校を訪れた。「世界の諸相は人間の心。3・11以後の世界に生きる我々は一人ひとりが、自分が変われば世界が変わると信じなければならない」と強調した。
 読経と同時に来場者らは祭壇に向かって列を作り、犠牲者への追悼と一日も早い復興を祈って焼香。その後被災した3県の県人会会長が、それぞれの母県の知事からの弔電を代読した。
 最後に挨拶した援協の菊地義治会長は「移民も互いに助け合うことで今日の繁栄を築いた。母国を支援することがコロニアの蘇生、活性化に繋がる。震災を決して忘れてはいけない」と力を込めた。
 モジ市イタペチ区在住の芳賀七郎さん(78、宮城県南三陸町)は、長兄新平さんと次兄利兵衛さんを津波で亡くした。「足が弱っていたので逃げ遅れたようです。地震が多い地域だから普段から用心していたようだが、誰も責められない。仕方がないね」としみじみ語った。
 岩手県人会の千田曠曉会長は、「コロニアからの祈りが日本側に届いたと思う。両国の絆がさらに深まれば」と笑顔を見せ、宮城県人会の中沢宏一会長は「立派な一周忌だった。今後も母県と連絡し合い、我々がどういう形で支援を継続できるか検討したい」と話した。


サンゴンサーロ教会でミサ=280人が震災に共同祈願

 サンパウロ市ジョアン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会でも10日朝9時から、日系5団体の共催で復興祈願の一周忌慰霊ミサが、日伯司牧協会の協力で厳かに執り行われ、日系団体代表をはじめ約280人が出席した。
 祭壇右側には日伯両国旗が掲げられ「連帯的行動を通して勇気と力を汲み取り、言語に言い尽くせない困苦と戦っている人々が復興に向かって歩み続けられるように祈りましょう」との共同祈願が、大部一秋・在聖総領事夫妻や日系各団体代表により捧げられた。
 神父は「永遠の命を願いましょう。勇気と喜びの中に行き続けることができますように」と語りかけ、パン、ぶどう、麦の穂などが祭壇に奉献され、聖体拝領が行われた。ヴィア・ソニアのコーラスグループによる聖歌が合唱された後、ミサは閉幕した。
 青森県人会の玉城道子会長は「一年経ち、青森は復興のめどがついた」と母県の状況を語り、「忘れてはいけないと思った。経済的な支援は難しいものの、気持ちだけでも応援していきたい」と話していた。

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