最終回=世界を南米から見る視点

ニッケイ新聞 2012年4月6日付け

■邦字紙が続くことの意味

【深沢】=まったく違う東洋文明から来た日本移民と、同じ西洋文明であるイタリアから来た移民というのは、かなり適応への難易度が違かったんじゃないかと。
【岸和田】=違うでしょうね。イタリアは、言葉だってあまり変わらないわけですから。そうですね、ポルトガル語の相手に向かってイタリア語でけんかすることも可能だったでしょうね。半分以上通じますから。
【深沢】=半分以上通じちゃう世界なんですか。日本の方言同士の方が通じない場合がありますよね。だいたいイタリア移民の物語のノベーラってしょっちゅうやってますね。グローボ局だけでも『O Rei do Gado』(1996年)、『Terra Nostra』(1999年)、『Esperanca』(2002年)、それに昨年の『Passione』でしょ。イタリア移民だらけ。
【岸和田】=ノベーラの中で一応イタリア語らしいのをしゃべったりして。
【深沢】=ははは。あれやっぱりイタリア語訛りでポルトガル語喋ったような。
【小林】=そうそうそう。
【深沢】=昨年の『Passione』なんかは、わざわざ俳優もイタリア系子孫を集めたんですよね。それだけの俳優がいるってこと自体が、何をかいわんやっていう。例えば日系俳優だけ集めてノベーラに一家族出そうと脚本家が考えても俳優がいない。これなかなか難しいですもんね。
【岸和田】=日本語の邦字新聞は代替わりがあったかもしれないですけど、ずっと続いている。日本移民の歴史に並行している。でもイタリア移民のイタリア語新聞がいつ消えたかって言うと、多分数十年前ですよね。確か1930年代か40年代くらいになくなったんじゃないですか。
【深沢】=いやでもイタリア系最古の新聞『ファンフーラ』(1893年創刊)は今でも発行してますよ。
【岸和田】=でも週刊でしょ。
【深沢】=はい。
【岸和田】=いま日刊はもうないでしょうね。
【深沢】=だいぶ前になくなったでしょうね。
【岸和田】=このあいだアメリカ史の本を読んでいたら、アメリカのドイツ語新聞やイタリア新聞ってのが、何万部どころか十何万部も出てた時代があるんですね。1920年くらいまで。
 ということはブラジルにおいても、要するに移民たちが馴染んでいってポルトガル語の新聞読めるようになって、イタリア語新聞の絶対必要性がなくなったから、イタリア語の新聞が消えていったと言える。日本移民よりも、文化の近いイタリア移民の方が適応度が遥かに早いっていうことでしょう。
【深沢】=日系社会では、百年経っても日刊邦字紙が2紙も続いているというのは、それだけ日本とブラジルの文明がかけ離れていたという一つの証拠なんでしょうね。だから、その分、日本移民の先駆者が苦労したということですよね。とりあえず、今まで邦字紙が生き残れたことは素直に喜びたいと思いますが(笑)。


■第3の視点として

【深沢】=日本語で書かれている世界情勢に関する記事で、ヨーロッパとアメリカ以外の視点で書かれたものってあまりないですよね。
【岸和田】=そりゃ、政治経済権力を握ったところから情報は発信されるんですから。
【深沢】=南米からの視点で、世界の流れを読み解くみたいな部分が、もっとあってもいいと思うんですよね。より多角的な視点というか、世界を複眼から見る第3の視点というか。今までお聞きした話はそのような視点を持つための基礎知識ではないかと思うんですよね。
 金融危機で欧米が停滞する今こそ、世界をより複合的に見ていく視点を、ブラジルを通して養ってもらいたいと思いますね。みなさん、どうも貴重な話をありがとうございました。(終わり)

写真=現在119年を迎えたイタリア語週刊新聞「FANFULLA」を持つ同社のマリアナ・デラロレ名誉会長(2009年11月撮影)



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