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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年5月25日付け

 サンパウロ市の移民史料館で開催中の色紙短冊展の会場で藤田朝日子さん(88、愛媛)から興味深い話を聞いた。戦前、朝日新聞リオ特派員だった荒垣秀雄と、本紙の連載小説『民族の苦悩』の著者・酒井繁一(1901—84年、宮崎県)は学友なのだという。調べると二人とも早大卒で年齢も二つ違い。荒垣は戦後17年間も天声人語を担当した有名記者だ▼酒井は、在学時代に窪田空穂に師事して、最初の歌集『明日への寂光』(白泉社、東京)を30年に華々しく出したにも関わらず、家族と共に32年に移住した▼当時、左翼思想の持ち主として特高に目をつけられ、投獄された経験を持つ。短冊展会場には「どの雲も 古里の上にとどかぬ 古里は遠い 見放くれば 異端者の文字が 吾を見据える」との色紙が展示されている。愛する祖国から異端者(左翼)と見られた辛さが滲んだ詩だ▼酒井は55〜61年の間に6冊(3冊は歌集)も東京で出版した。コロニアでよりも、日本の方で有名だった異色の歌人だった。コロニアでは岩波菊治らアララギ派が全盛であり、それ以外は不遇をかこった▼なぜ戦後の日本でそんなに出版できたのかとずっと謎だったが、藤田さんがあっさり解いてくれた。「酒井先生が初帰国した57年、昔の学友から『君が日本に帰ってくれれば、今なら自分達が助けられる』と申し出たが、先生は『妻子がブラジルにいるから』と断った。でも出版は手伝ってくれたと」。なるほど荒垣らが手伝えば可能だっただろうと納得した。移民の秘話の一つだ。短冊展は日曜(午後1時〜5時半)まで開催中。(深)

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