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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年7月11日付け

 「喜望峰を過ぎた頃、ブラジルで革命が起きていると移民船上で聞き、無事に上陸できるのか皆不安になりました」。梅崎嘉明さん(89、奈良)ら家族7人が乗った「らぷらた丸」はちょうど80年前、護憲革命開始2週間後、7月25日にサントス港に着いた▼停泊して観光する予定だった首都リオでは厳重な警備態勢がしかれ、上陸が許されなかった。船長は上陸許可を求める無電を打ち続けたが、返答は得られずやむを得ずサントスへ。その間、ひっきりなしに軍の飛行艇が移民船の上を掠めるように飛び、サンパウロ州軍が潜んでいないか警戒していた▼サントス港では下船こそできたが、サンパウロ市内の移民収容所はサンパウロ州軍の宿舎になっていて使えないため、海興の明穂梅吉の世話で急きょ移民800人は市内ホテル5、6軒に分宿した。「僕はまだ10歳。興味津々でホテルの裏口から覗くと、土嚢を積んで鉄砲を構えた兵隊が並んでいて緊迫感があった。面白がって見ていると、ホテルのオヤジから『見せもんじゃない』と怒鳴られました」と懐かしむ▼配耕先のカフェランジアまで汽車で二日もかかった。「駅に停まるたび、機関士と駅員が革命談義で話し込んで出発しない」。ひどかったのは、日本から送った荷物が3カ月も遅れて届いた時、革命のドサクサにまぎれて中身が半分以上抜かれていたこと。「耕地管理人に苦情を言ったが『革命だから仕方ない』と取り付くしまもなく、みんな泣き寝入りした」とか▼梅崎さんはその稀な経験を小説『流氓』に描き文学作品に昇華した。話を聞きながら、移民の目から見た革命も、この国の立派な歴史の一部だとしみじみ感じ入った。(深)

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