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ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第3回

ニッケイ新聞 2012年10月27日付け

 「彼らは街からあまり遠くないにカリチ(借り地)をしているのだった。水先案内人としてハチミツ(もしかしたら三橋?)さん宅まで連れてってくれた黒人はこう明かした。『やっこさんたちは、大きなたるに豚のえさを溜めるんだ。わけの分からないもんをみんな混ぜくって、醗酵して、苦いような臭気がして…豚はころころふとって、まるで王様だよ。ロバのように大きくなって、横になって寝ながら食うんだよ』」
 ここに出てくるカリチ。ふつう日本人はシャクチというように思いますけどね、また、そんなことはどうでもいいんですけど、日本語をそのまま借用するという点が当時はアタラシかったはずで、これがギマランエスの特徴になっています。
 日本人は食べ残りがもったいないとよく豚を飼いましたね。わが家でも、ブラジルに来てすぐさま豚を飼いました。話ができないので身ぶり手ぶり。言葉というのは、話すほうに分からせよう、聞くほうが分かってやろうという気があれば通じるものなんですね。
 ギマランエスの特長は、こんなふうに登場人物の言語を多数借用するところにあります。最近のように懇切に註がつくわけでもなかった当時、読者はジグソーパズルをやっている気分だったのではないか…と考えながら、難解だといわれるギマランエスの創作中枢の一部を解き明かしたような気分になりました。
 「向こうに着いてからは、豚をからかいには行かず、娘たちを見に行った。戸外にテーブルを出し、4、5人の娘たちが家のそばで炊いた飯をつついていた。白い丸いものを作っていた。われわれの誰かが写真機を取り出し、娘たちは笑顔を見合わせながら許可した。するとひとりの男が現れた。ハチミツさんである。娘たちを叱りながら、訪問したわれわれに対してはお辞儀をした。娘たちは家の中に入ったので、そのままひっこんでしまったのだろうと背中を向けると、ハチミツさんが恭しい態度で呼びにきた。若い二世の娘たちが魔法のように華やかになって現れた。父親は、写真を撮るために着替えて化粧するようにと命じていたのである」
 「立ち去る前に窓から窺ってみると、目に入ったのは刀の額だった。—武士の魂といわれる古い幅の広い日本刀—筆で書かれた黒々とした漢字。勇気を出して訊ねてみた。ハチミツさんは額に一礼をしてから、訳してくれた。『神州不滅』(神ノ国ハ永遠ニ滅ビナイ)」
 白い丸いものはモチだと考えられ、家の棟上にもちをつくのは日本人の習慣で、共同作業もふつうですが、なんとなくつじつまが合わない。窓から額が見えたというのは客間だろうから…ということは別の場所に家でも建てていたのでしょうか。日系社会が勝ち組負け組で揺れていたころですから『神州不滅』の額があるということは、戸主は勝ち組なのでしょうか。
 作品に登場する日本ムスメはいつも画一的に、親父のことをよくきき従順です。そんなはずはないけどなあ…。人形みたいにニコニコするだけで、言葉を発しないのだから仕方がないカ…。自己主張する娘たちの出現は60年から70年代まで待たなければならない…そのうち作品の中に登場してきますから、じれったいけれど、それまで待つことにしましょう。(つづく)

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