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百歳表彰=聖市伝達式に本人14人=来場者50人が集い祝福=「新聞読むのが楽しみ」

ニッケイ新聞 2012年11月7日付け

 在サンパウロ日本国総領事館(福嶌教輝総領事)は5日、総領事公邸で『平成24年度百歳高齢者表彰』を行った。32人の対象者(うち3人が死去)のうち本人が14、代理人が2の計16人が出席し、福嶌総領事から記念品と賞状が手渡された。来賓には県連、文協、援協の日系3団体の会長に加え、日系老人クラブ連合会の松平和也副会長が駆けつけ、会場を訪れた家族・親族ら約50人らによって受賞者が祝福された。

 今年の表彰者は全世界9在外公館の計60人。サンパウロ管内だけでその半分以上を占めた。
 挨拶に立った福嶌総領事は「日本から遠く離れ、言語や習慣、文化の異なる環境のもと、波乱万丈な人生を歩まれた後に百歳を迎えられたことは本当に喜ばしく嬉しい」と受賞者を讃えるとともに、「こういったご長寿は、家族・友人らとの温かい交流があればこそ」と来場した親族らにも敬意を示した。
 「嬉しくて嬉しくて、言葉になりません」と話すのは丸山よし古さん(100、長野)。編み物と読書、新聞を読むことが日課で、70代で始めたゲートボールも20年以上続けた。健康の秘訣は「毎日漬物を食べること」だそう。同伴した長女の平尾要子さん(77、同)は「周りの皆さんのおかげ。立派に賞状を受け取る母の姿を見て涙が出ました」と感慨深げに語った。
 1935年に来伯し、第一アリアンサを中心に25年間日本語教師として働いた市脇あささん(脇の『力』三つが『刀』、100、愛知)は「51歳で亡くなった夫から引き継いで、83歳まで教師を続けた。当時は仕方なく引き受けたというのが本音だけど、今はやって良かったと思う」と振り返る。「もう流石に教師は出来ないけれど、まだまだ頑張って生きていきたい」と元気一杯に語った。
 新聞を読むことが何よりの楽しみだという藤田恭ヒサ(人偏に『久』、99、鹿児島)さんは、戦前戦後と二度に渡ってブラジルに移住した経歴を持つ。24年に家族とともに渡伯、30年代前半に、先に日本に戻った両親からの声を受け帰国した。大阪などで会社員として働くものの、「心はいつもブラジルにあった」という。
 父の死をきっかけに、58年に呼び寄せで再渡伯し、トマト栽培など農業を営んだ。「どうしてもブラジルが忘れられなくてこちらに来たのに、日本からこんなに立派な賞を貰えるなんて本当に光栄」と笑顔で話した。
 孫の文岡正樹さん(44、二世)は祖父の受賞に目を細め、「凄く嬉しい。この年になっても毎日元気に過ごすおじいちゃんを見ていると、自分ももっと頑張らなければ、と奮い立たされます」と話していた。

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