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第15回=砂漠の中の椰子文化圏=往復6千キロ経て帰還

ニッケイ新聞 2012年11月29日付け

三日月池に向かって散策する一行

 「この辺はボクがブラジルに来た54年前のマット・グロッソと同じような感じですね。まるで時間が止まっているようだ。ブラジルの原点だね」。プレギッサ川の艀の近くには掘立小屋のような原住民の家が数軒建っているだけ。その様子を見ながら、一行の平谷勲さん(いさお、68、和歌山)はそう呟いた。1958年、南麻州南部のドウラードスからさらに180キロも奥の和歌山植民地に入植した。
 10月3日、最後の日程は川下りだ。ボートに分乗してプレギッサ川を38キロも下る。高速で飛ぶように走ると顔に細かい砂があたる。一行の中山保巳さん(やすみ、85、鹿児島)は「砂粒が当って顔が痛い。でも砂丘の風情が予想以上によかった。意外に風が涼しくて心地よいんだね」という。
 この辺の原住民家屋はブリチ椰子の材木で柱を作り、その葉で葺き、民芸細工も作る。パルメイラ・カルナウーバの幹は木材代わりで、葉っぱからは蝋が取れ、搾りかすは肥料に、根はお茶になるというから捨てるところがない。ブリチはもちろん、アサイ椰子(ここでは「ジュサーラ」と呼ぶ)の実を甘く、または塩辛くして食べる。いわば「椰子文化圏」といえそうな生活スタイルだ。
 そんなアサイ椰子などが群生している川岸を下って、海に近づくと急にマングローブ林に変わる。ガイドによれば、アサイは真水にしか生えず、潮の干満で喫水となる地域はマングローブ一色となるのだという。
 先行するボートを追い越しざまに横腹の表示を読むと「Anbulancha」と書いてあり、一堂大笑い。道路を走るのは救急車(アンブランシア)だが、ここでは船(Lancha)だから、アンブランシャとはシャレた名前だ。
 途中、笠戸丸の翌年1909年に建設された灯台に登った。35メートル(11階建てビルに相当)もあるにも関わらず、80歳以上でもどんどん登っていく一行の姿に、ハアハアと息を切らしている若いブラジル人観光客が目をむいて驚く。
 具志堅パウロ春男さん(69、二世)=聖市在住=は「初めて灯台に登った。見晴らしすごい。何にも使ってない土地が広大に広がっていて、改めてブラジルの広さ感じた」という。
 第6回故郷巡りから20数回も同行してビデオ撮影している畑勝喜さん(78、東京)は「最初の頃の映像とか見ると、亡くなった人がたくさん映っている。これは歴史的に貴重な映像記録。その意味をもっと広く分かってほしい」と強調した。
 今回の故郷巡りは片道3千キロ、往復で6千キロにもなると聞き、参加者の松尾仁(ひとし)さんは「日本は端から端まで2千キロぐらいだから、1往復半した勘定になるな」と笑った。
 翌10月4日早朝にバレイリンニャスを出発し、昼にはサンルイス空港で飛行機に乗り換え、夕方7時過ぎには、一気に東洋街リベルダーデ広場に到着した。
 最も遠い所からの参加者の一人、南麻州ノーバ・アンドラジーナの安斉喜高さん(あんざい・よしたか、75、福島、青年隊第2次)は、「この旅は日本人同士で気楽で良いし、交流も出来て楽しい」と喜んだ。遠くからの参加者はもう一泊して翌日帰る。そこまでしても参加する価値があるのが、この故郷巡りだ。
(平谷さん作の川柳)
大砂丘自然の神秘垣間見る
移動する砂に魅入りてただ唖然
(終わり、深沢正雪記者)

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