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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第10回

ニッケイ新聞 2013年2月8日

 中学一年生の時、児玉は横浜市長津田で暮らしていた。卒業式を目前に控えた頃、神奈川県の作文大会である女子生徒が受賞し、朝礼でその作文が本人によって朗読された。金という姓の在日朝鮮人だった。彼女は中学を卒業すると高校には進学せず、就職することになっていた。就職試験を受けるには履歴書を提出しなければならないが、日雇いで定職がない父親の職業欄は空白だった。
 民族差別によって父親は働く機会を奪われていた。そのことは彼女自身にもよくわかっていた。しかし、彼女は父親を責め、職業を問い詰めた。作文はそれを後悔し、父に詫びる内容だった。そして、差別をやめてほしいと訴えていた。
 朝礼台で作文を読む彼女は毅然としていた。在日朝鮮人・韓国人の歴史などまったくわかっていなかったが、彼女の作文に感動したことを児玉は今も鮮明に覚えている。このことを忘れずにいるもう一つの理由は、児玉の横に周囲の視線も気にせずに涙を流している女子生徒がいた。作文を読んだ生徒の妹だった。
 児玉が通った中学校はいくつかの学区から生徒が集まってきていた。後に友人が彼女たちの住んでいる地区に連れていってくれた。児玉の家の暮し向きも決して豊かとはいえなかったが、そこから通ってくる同級生の家はみすぼらしく見えた。
「あそこに汚ねえ家が並んでいるだろう。あそこがチョンコウの連中の家だ」
 戦前に建てられた、いわゆる長屋で家はひしげて見えた。屋根は雨漏りがするのか、ビニールのテントのようなものでおおわれ、その上に石が置かれていた。
「チョンコウって何のことだ」
 児玉が聞いた。クラスには数人、その長屋から通ってくる生徒がいた。直接本人に向かって「チョンコウ」と呼ぶ者はいなかったが、影に回れば日常的にその言葉が飛び交っていた。
「お前、チョンコウも知らねえのか。朝鮮人は皆、チョンコウなんだよ」
「金の家もあそこにあるんだぜ」
「金さんって、金幸代さんのことか」
「ああ、そうさ」
 児玉はそれ以上、その長屋に住む人々についてを詮索することに罪悪感を覚えた。「チョンコウ」という侮蔑の言葉を悪びれずに繰り返すその友人と、遠くから長屋を眺めている自分も同罪のように思えた。クラスメートの金幸代に向かって「チョンコウ」と児玉も罵っているような気がして、その場を一刻も早く離れたかった。
「もっとそばへ行ってみようぜ」
「もういいさ」
 児玉は長屋に背を向けて、一人で歩き出した。友人が後から追うように付いてきた。
「汚ねえだろう、なあ」
 同意を求めるように友人が言った。それには答えず児玉が聞いた。
「どうして朝鮮人が日本にいるんだ」
「そんなこと俺も知らねえよ」
「なんでチョンコウなんていわれるんだ」
「チョンコウだからチョンコウなんだよ。結局、外人だから差別されるんだろう」
 何故、外国人だと差別されるのか説明になっていなかった。外国人とはいっても、彼らは日本語を話し、日本人と何一つ変わるところはなかった。児玉にはそう思えた。この世の中に貧富の差があることくらいはわかってはいたが、朝鮮人、韓国人が差別されているという現実をその時知った。
 児玉は中学一年を終了すると父親の転勤で横浜を離れ、この姉妹のことも次第に記憶から薄れていった。
 在日朝鮮人・韓国人の差別が身近なものになって児玉の前に現われたのは、早稲田大学に通っていた時だった。
 在日朝鮮・韓国人の二世らによって出版された「マダン(広場)」という月刊誌の編集部で朴美子と出会ったのだ。
 その頃、児玉は大学の授業を放り出し、韓国を一ヶ月おきに訪ねていた。闘争目標を失って学生運動はセクト間の対立を劇化させていた。早稲田も内ゲバ騒ぎで休講が続いた。テストはレポート提出に振り返られ、図書館で日韓の歴史を調べていた時に、在韓日本人の存在を知った。


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