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『リベルダーデの日本映画』=Cinema Japones na Liberdade=10年の調査の集大成=岸本氏が刊行記念イベント

ニッケイ新聞 2013年3月16日

 ブラジルにおける日本映画の影響と日系コロニアの関係をテーマにした岸本アレシャンドレ著『Cinema Japones na Liberdade』(「リベルダーデの日本映画」、304頁、2013年、エスタソン・リベルダーデ社刊)の刊行記念イベントが13日夜、東洋街の広島文化センターで行われ、約60人が訪れた。
 岸本さんはサンパウロ大学(USP)で人類学の修士課程を修了し、この調査や執筆に10年を費やした。映画と文化人類学に関する調査を専門とし、さまざまな文化プロジェクトに幅広く参加する。第2次大戦下の日本移民の苦闘を描いた『南米の戦野に孤立して』の著者で、雑誌『曠野の星』を発行した故岸本昴一さんの孫だ。
 「子供の頃、祖父や両親に連れられて日本映画を観に行った記憶がある」という岸本さん。03年に携わった、聖市東部の公立学校に映画のビデオコレクションを作るプロジェクトで複数の映画監督と知り合った際、彼らが東洋街の日本映画館によく通っていたと聞いたという。50年代には当時の有力紙に著名な映画人が批評を書いていたこともわかった。
 「移民や日系人だけじゃなく非日系の映画人にも深い影響を与えていたと知り、興味を持った」ことから大学院での研究テーマに選んだ。
 本の説明書きには、「日本映画は26年頃から、聖州の地方部で巡回上映され始め、ヴァルガス独裁政権による日本移民への抑圧があった40年代を経て、当地の鑑賞者の郷愁を癒すなどカタルシス(抑圧感情の浄化や解放)を引き起こし、そのジャンルやスタイルの多様さでブラジル映画作品にも影響を与えた」とある。
 53年から次々に東洋街に生まれた日本映画専門館(シネ・ニテロイ、シネジョイア、シネ東京、シネ・ニッポン)に通った、かつてのファン15人にインタビューし、証言や豊富な写真で当地の〃日本映画黄金時代〃を振り返り、映画人や一般社会にどのように受け止められ、評価されたかを探っている。
 当日は、スライドを用いた岸本さんの発表の後、元エスタード紙の映画評論家で、映画監督のアルフレッド・ステンへイン氏、シネ・ニッポンの創立者、故平田公泰氏の息子、ネルソン氏のコメントに来場者は熱心に聞き入り、その後は討論が行われた。
 本のランサメントは26日午後7時から、パウリスタ大通りのLivraria Cultura(Av. Paulista, 2073)で行われる。48レアル。

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