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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=三重編=否定しない帰伯の可能性=「娘を大学に通わせたい」

ニッケイ新聞 2013年4月12日

 聖市生まれの阿部チエミさん(23、三世)は二世の父、非日系の母と一歳半で訪日した。両親は「2年」の予定をしていたが、結果的に「20年」になった。まさにデカセギ版準二世、もしくは子供移民だ。
 鈴鹿市に住んで4年で、家族で経営する保育園「Carinho da mae」を手伝う。南米国籍の子供を預かる民間施設で、最盛期には60人も子供がいたが、大量帰伯の影響は免れず現在は約20人だという。
 小中学校は地元の公立に通い、「自分は日本人だと思ってきた」と事も無げに言う。高校への進学は家庭内の事情で断念した。家では日本語禁止だったので、ポ語の日常会話には不自由しない。 日本語もネイティブのように話すが、「新聞を読むのは難しい」という。一見バイリンガルに見えるが、キチンと教育を受けたのは日本語だけのようだ。
 ブラジル生まれ、日本育ちの子供移民ゆえの、微妙な部分のある生い立ちだ。当地ではその種の生い立ちは普通だが、日本ではどの程度受け入れられるのだろうか。
 受講した理由は「高齢者が好きで、人の世話をするのが好きだから」。実は、伯国には気になる存在、認知症の祖母がいる。「おばあちゃんの面倒を見てあげたい」。記者の目をまっすぐ見つめて、そう言った。「ここで学んだことは、介護の専門技術をもつ人材は少ないブラジルでも生かせるのでは」とチエミさんは考えている。
 と言いつつも、伯国には短期で里帰りをした程度でほとんど知らない。「一度帰って住んでみたい気もするけど、一人では…家族と一緒なら」と言葉を濁す。日本に慣れた今、やはり治安の悪さが不安だという。日本の方が住みやすいものの、帰伯の可能性も否定しない。日本に住んでいるのは最終的な判断ではなく、まだ将来は未知数のようだ。
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 「将来的にブラジルに帰りたい。子供には大学へ行ってほしいから」。同じく受講生の林田マリナさん(32、二世)は、将来について尋ねた記者に切実な表情でそう語った。
 子供の将来を考えて「日本にいるよりも帰伯した方がよい」と、すでに判断している。両親は三重県出身の戦後移民で、18歳で家族と訪日した。松阪市に4年ほど住みシャープの工場で働いた後、鈴鹿市で住友電装の製作所でライン作業をした。日系人男性と結婚したが離婚し、3歳になる娘と2人暮らし。同じ市内に住む母は、生活保護を受けて一人で暮らすという。
 林田さんの父は(取材時の)2カ月前に他界し、祖国の土となった。生前は老人ホームに入居しており、毎週通っていたためそこのスタッフと顔なじみになった。その経験からヘルパーの資格を取得して、そのような施設に就職することを希望するようになった。
 つまり、彼女のケースはある意味、〃デカセギ訪日〃というより、戦後移民が家族で〃永住帰国〃したと言った方が適当かもしれない。(つづく、田中詩穂記者)

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