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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(2)

ニッケイ新聞 2013年4月19日

 ブラジルのキノコ栽培の歴史的、技術的経緯を知るには、ブラジルのキノコ業界の発展に偉大な足跡を遺した古本が、故橋本梧郎植物分類学者に請われて執筆し、1983年に農林水産省熱帯農業研究センターから刊行された、熱帯農業技術叢書 18号「ブラジルの野菜」の最終章(355?376ページ)に掲載された菌類 (Fungi)担子類(Basidiomyetes)が現存する唯一の資料と思う。
 然し、当叢書を閲覧可能なブラジル在住者はごく限られている。故に、後にも先にも1960年代初頭迄のブラジルのキノコ事情を知る、唯一の手掛かりとなる当叢書から主要な事項を抜粋し、それにまつわる、いくつかの事象に就いては、私が古本の菌舎で、ある時はカフエを飲みながら得た、見聞や逸話を加筆した。
 地球上には一万種にも及ぶキノコ類が自生し、遺伝子資源としての価値は大きい。今やバイオ技術の導入が期待出来る多くのキノコが、機能性食品として薬理効果と共に免疫活性、体調リズムの調整、疾病回復機能、更には生活習慣病の予防と改善効果が指摘されている。
 飽食時代の今日,キノコは低カロリーの食品であり、古来、特有の香りと、旨味、歯切れの良さ、そして野趣に富む姿形で親しまれて来た。しかしブラジルでは一般大衆にキノコの食性が広く浸透始めたのは、ここ30年余りに過ぎない。
 ブラジルに於いては、80数カ国に及ぶ国々からの移民の共通食材である穀類をベースとした、肉食、魚食、菜食、いずれのメニューも、キノコは手軽に調和する料理が可能であると同時に、ブラジルではこの様な惣菜としての食材よりも、往時は滋養食や美容食としてヨーロッパ系有産階級の嗜好を満たす食材であった。
 また昨今では日本女性が世界一長寿で、且ついつまでも若さを保てる根源は、魚,海藻、そしてキノコ類が豊かな食生活にあると云われる、日本伝来の食文化の一般通念にあやかり度い願望もある。更には昨今の日本食ブームに乗って箸が 使え、キノコを食べる事は一つのステータスシンボルと密かに自負する者もいる。
 キノコはピッツア,サラダ、バター炒め、ストロゴノフ等の料理で多く食されているが、アジア産のキノコに較べればブラジル産のキノコの匂いは、花卉類の芳香と同様に湿度に関係するのか一般に希薄である。それでも椎茸等の独特の 臭いには馴染めない者も多い。余談だが日本から導入したキノコの種菌や、現地に自生する在来種の種菌を問わず、人口栽培したキノコ類は、世代を経るにつれ漸次匂いは希薄になり、色調は褪色する傾向にあるのは体験的に感知できる。
 ブラジルで栽培されているキノコ類は、マッシュルーム、椎茸、シメジ(ヒラタケ)アガリクス、ナメコ、マエタケ、エリンギ、キクラゲ等々である。但しブラジルで市販されているシメジは、日本のブナシメジやホンシメジでは無く、ヒラタケの生活史の一部を占める前駆体で、外観が類似したシメジもどきである。日本で最も売れているマイタケは未だブラジルでは栽培されていないと思う。約半世紀前に東山農場に植栽された赤松から、松茸の栽培に挑んだが成功しなかった。世界の三大珍味のキャビア、フオワーグラと並ぶキノコのトリュフのフランス産は黒ダイヤ、イタリー産は白ダイヤと呼ばれ、100gで200ユーロもする超高級食材で中国、台湾、香港の新興財閥は不老長寿と媚薬の食材として垂涎の的となっている。日本では既に菌床栽培に成功しているのでブラジルでの栽培も近い事と思われる。

【1】マッシュルーム栽培(Agaricus bisponus)

《最初の栽培者》


 ブラジルに於いて、誰が一番先にマッシュルームの栽培を始めたかは、次の二つの場合が考えられる。一つは単なる趣味を兼ねた自家用栽培、他は事業化を意図し、先ず試験栽培の後、技術的に成功してから、商業的栽培に移行する例である。
 前者の場合、母国に於いてマッシュルームの栽培に親しんで来た欧州系のドイツ、イタリア、フランス移民の有産階級に多い。彼等の多くは日本移民より早期にブラジルに移住して、祖国からの種菌や栽培技術を門外不出の秘密裏にして、栽培を悦楽していたので、最初の栽培者が誰であるか知る由も無い。
 日系キノコ栽培の先駆者、古本の栽培足跡を辿る。冒頭でも述べた如く、ブラジルのキノコ栽培の沿革を知るには、生涯をキノコの研鑽と業界発展に尽力した、先駆者古本の苦難に満ちた足跡を辿る事に尽きる。
 1935年、古本は旧制宮崎高等農林専門学校を卒業後、19才で渡伯した。
 1940年頃、当時古本が勤務していたサンパウロ近郊の日伯農事協会試験場で、マッシュルームの試験栽培が行われた。これが日系人では最初の組織化された、最古のマッシュルーム栽培だったが、試験の段階のみで不成功に終わった。
 1951年、古本は本業の傍らマッシュルーム栽培の試行錯誤を、10数年間も繰り返して後、シダーデ・パトリアルカで遂にその栽培に成功した。
 1952年、古本はサンパウロ博物研究会(橋本梧郎主宰)の展示会にマッシュルームを出品し、当時の斬新奇抜な農作物で最優秀メンソンオンローザ賞を受賞した。この当時がブラジルのマッシュルーム栽培の胎動期で有り、これが動機となり、古本はキノコの研鑽に生涯を賭けるに至った。当時36歳だった。



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