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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(6)

ニッケイ新聞 2013年4月25日

《台湾系移住者に拠るマッシュルーム栽培活動》

 ブラジルに於ける台湾人のマッシュルーム栽培は、比較的短い歳月の内に、着実に実績を示している事は特筆に値する。其の要因は約半世紀前の日本人農業者を彷彿させる、日夜に及ぶ労働を厭わない勤勉さと、身辺の事象の変化に機敏に反応する行動力と、貪欲なまでも栽培技術に対する向上心、そして伝統的な 民族相互扶助の団結力に拠るもので、更なる発展が期待される。

《ブラジルに於ける台湾人の最初のマッシュルーム栽培者》

 1962年、モジ・ダス・クルーゼス在住のマッシュルーム栽培の先覚者の一人である瓜生知助の指導の基に栽培を始めた、頼 金敦(LAI KIM TONG)に次いで同地に最初に入植した篤農家の呉 換竜(WU HUAN LIUNG)が挙げられる。
《初期の販売法》
 販路開拓の為、イチゴの小箱に詰めたマッシュルームを、同胞の中華料理店や招待好きな台湾人家庭の晩餐会等には惜しげも無く提供したり、栽培者自身が露天朝市に出店しては次第に需要を伸ばして行った。
 1969年=生産量が急速に伸びたので、台湾人の有志はモジ郊外に“LUCA”と 称するマッシュルームのビン詰加工工場を設立し、生産過剰に伴う価格変動の 安定策を講じ、近隣の栽培者には頗る有利な営農手段を提供した。

《種菌の歴史》

 1962年?65年=当時のモジ周辺では瓜生と私が、日本から導入した原種を基に拡大純粋培養した種菌が最も好評を得た。
 1965年=黄直財が台湾からの改良原種を基に、馬糞を培地として拡大純粋培養した種菌の発茸成績が良好だったので、2年間程は使用者が多かった。
 1978年=林栄輝、林伝成は穀実種菌を台湾から導入し、更に発茸率の良好な種菌を製造し、生産実績の向上に寄与した。

《菌舎の変遷》

 1965年頃=年々雑菌の耐性獲得が嵩じる菌舎の殺菌対策として、化学薬品に拠る燻蒸処理より、更に効果が期待される強烈な火炎放射器を使っての殺虫殺菌が行われ、菌床も柱も天井もコンクリート等の耐火建材を使った菌舎が普及した。
 1972年=菌舎内部の天井と壁面を全て特殊なビニールで覆い、更に特殊な蒸気 発生装置から堆肥の二次醗酵の促進を兼ねて、菌舎内全域の蒸気燻蒸に拠る殺菌殺虫を強化する台湾方式を導入し、著しい生産性の向上を得た。

《台湾人に拠るマッシュルーム推定生産量》

1976年=800トン
1977年=700トン
1978年=400トン(不況により購買力が低下し生産調整)
 以上、1970年代後半迄のマッシュルーム栽培の史実を年表順に列挙した。此れより新来青年移民が歩んだ、キノコとの係わりを記述する。

《新来移民の茸栽培行状記》
 これから記述する事は古本のブラジルのキノコ業界にもたらした学術的、技術的、商業的な偉業には遠く及ばないが、今日のキノコ産業の繁栄を迎えた舞台の裏方として、1960年代のキノコ栽培の揺籃期に活動した新来移民の生き様である。
 東京オリンピック前の不況のどん底に在り、私は社会逃避を兼ね、大学を卒業と同時に新天地を求めブラジルに移住すべく、在学中から学生中南米研究会に入会し南米情報を収集したり、ブラジル帰りの戦前移民を尋ねては成功談義に心を踊らせ、ブラジル事情をむさぼりながら、移住に必要な手続きを進めていた。
 当時の移民船は東航パナマ経由の大阪商船と、西航ケープタウン経由のオランダ商船が就航していた。1961年頃の移住者数は既に漸減の傾向にあり、何月の船に乗れるのかも不明なので、実家で毎日ぶらぶらしているのも世間体があり、近くの缶詰工場で移民船が出港する迄の約束で働いた。
 工場は東京湾産の貝類の缶詰加工と、マッシュルーム栽培と其の缶詰加工だった。私は大学で水産加工は一応習得したので、異業種を体験すべくマッシュルーム栽培を志願した。移民船が横浜を出る迄の短期間であったが、種菌培養、堆肥の醗酵、植菌、覆土調整、菌舎での発茸管理等の全行程を一応体験する事が出来た。
 オランダ商船の西航ブエノスアイレス行き貨客船ルイス号約15000トンが横浜を出港する間際に、計らずもマッシュルーム栽培を体験した缶詰会社の元上司が、ブラジルに行ったら何かの役に立つかも知れないと、餞別代りに白色系と褐色系(ボヘミアン種)のマッシュルーム種菌が5本ずつ入ったみかん箱を、千葉から横浜の埠頭にわざわざ届けてくれた。
 そして途中灼熱の赤道を越えてブラジルに着く迄、2ヶ月もかかるので、出来る限り低温で保管する事、また種菌は国によっては禁制品なので下船時の通関検査には充分注意する様にと、往時の特攻隊上がりの上司は最後迄気遣ってくれた。(つづく)



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