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デカセギが日本政府提訴=〃3年問題〃で初訴訟=妻の再入国拒否に対し=夫ルカスさん「権利のため戦う」

ニッケイ新聞 2013年5月11日

 日本国内の景気悪化に伴い、2009年から1年間実施された『日系人帰国支援事業』を利用して帰伯したフテンマ・ジュリアネさん(21、四世)が、静岡地裁で8日、日本への再入国を拒否されたことを不服として、日本政府を相手取り訴えを起こした。09年当時、日本政府は3年を目処に当分日本に戻れないことを条件で帰伯旅費などを支援したが、昨年で3年が過ぎたが現在も訪日が許されていない状態が続いている。この〃3年問題〃に対する初めての訴訟に、聖州在住のジュリアネさんの代理人である夫ルカスさん(22、三世、静岡県浜松市在住)は、6日に浜松で本紙取材に応じ、「大好きな日本を訴えるのは辛いが、権利を勝ち取るために戦わなければ」との決意を語った。

 原告のジュリアネさんは7歳で家族とともに訪日した。ところが08年の経済危機で両親が失職し、帰国支援事業の利用を決めたことで、当時未成年だったジュリアネさんも両親に連れられて伯国に戻った。
 当時から交際関係にあったルカスさんも職を失い、自費で帰伯した。その時、「すぐにでも日本に戻り仕事を探しなおすかもしれない」と考え、帰国支援を使わなかった。
 ルカスさんによれば、日本への永住を望んでいたジュリアネさん一家は、当初躊躇していたものの「3年を目処に再入国に対する見直しが行われるという政府の発表を信じて、利用を決意した」という。
 2人は2011年に聖州プレジデンテ・プルデンテで結婚し、翌12年6月に、再び日本での生活基盤を作るためルカスさんが単身訪日した。
 浜松市内の自動車部品工場での仕事にも慣れた同年12月、ルカスさんはジュリアネさんを配偶者として呼び寄せるための在留資格認定手続きを名古屋入管浜松出張所で行った。ところが、支援事業の利用を理由に認定書は交付されず、観光など短期滞在を除き、再入国は事実上拒否された。
 知人に紹介された、日系伯人研究をする津村公博・浜松学院大学教授と高貝亮弁護士の勧めにより、夫妻は提訴を決意し2月から準備を進めてきた。
 7日、高貝弁護士は浜松での本紙取材に対し、「3年という期限が過ぎたにも関わらず、何の動きもないことがそもそも異常」と話した上で「当時未成年の原告に、事業利用の責任を求めるのはおかしい。また、再入国の禁止は、支援事業が旅行や休暇を担保するものではないことを明確にするためのものであるはず。日本での仕事先も確保されているジュリアネさんにその点の落ち度はない」とコメントしている。(酒井大二郎記者)


 デカセギ子弟団体も関心=署名活動など積極協力も

 提訴2日前の6日、浜松市中区にある浜松学院大学に、デカセギ子弟の若者で構成される在日外国人支援団体「マイノリティー・ユース・ジャパン(MYJ)」のメンバーが集まり、今訴訟を議題に、ルカスさんを交えた会議が開かれた。
 同団体は2008年ごろから、在日ブラジル人を中心とした外国人を対象に、サッカーイベントや日本語教室を主催。昨年7月には、中川正春内閣府特命担当相(当時)を招き、同市に住む日系ブラジル人の若者との対話集会を開催するなど、積極的な支援活動を行っている。
 中心メンバーの多くは幼い頃から日本で育ち、日ポ両語が堪能な20代前半の若者たちだ。
 MYJのアドバイザーである津村教授から、訴訟に至るまでの経緯が説明されると、集まった4人のメンバーは興味深げに耳を傾け、時にはルカスさんに対し「自分の出来ることに最大限取り組めているのか。人任せになっていないか」と厳しい意見もあった。
 日系ペルー三世の比嘉ケンジさん(24)は「自分は帰化を考えているが、それでもやはり日本の中での扱われ方は外国人。今後何が起こるかわからない中で、人事として片付けることは出来ない」と話し、初回の口頭弁論期日までに署名活動を行うことを提案。自身が中心になって、外国人労働者を多く雇用する企業などに協力を求めていく意思を示した。
 代表を務めるナダヨシ・パブロさん(24、三世)も「ルカスさんたち個人だけでなく、在日外国人全体に関わる大きな問題。出来る限り協力出来れば」との前向きな姿勢を見せた。
 会議を終えたルカスさんは「非常に心強く、ありがたい」と謝意を示すとともに、翌々日に控えた提訴に向け、引き締めた表情を見せていた。
 現在同団体のホームページには、特別プロジェクトと称し、今訴訟に関する情報が載せられている。URLはhttp://minorityyouthjapan.jp/

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