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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第74回

ニッケイ新聞 2013年5月15日

「ブラジルの小学校しか出ていない私が教えるなんて無理。それは学校の先生に相談してもらわないと……」
「いや、確かに先生が教えてくれるポルトガル語は文法に則っているけど、解説の日本語が下手で実は何を言っているのかわからない時があるんだ」
「私の日本語はもっと下手よ」
「いや、マリーナの日本語は方言が混じるけれど、先生よりはまだわかりやすい。高い授業料は払えないけど、いくらか払うから教えてもらえないだろうか」
 児玉は個人授業を執拗に頼み込んだ。マリーナはなかなか承諾しなかったが、一つの条件を提示してきた。
「私には正確なポルトガル語を教えることなんてできません。授業料なんてもらえません。ポルトガル語の話し相手になりますから、児玉さんは私の日本語の話し相手になって下さい」
 話はそれで終わった。マリーナは学校近くのペンソンで暮らしていた。そこでレッスンをするわけにはいかないので、土曜日の午後二時からドゴンでということになった。
「南伯の仕事は何時からなの」
「夜中にトラックが入ってくるので、朝の六時には事務所に入っていないとまずいんです」
 マリーナは南伯組合で午後四時まで働き、ペンソンで休む間もなく五時から学校に出勤し、午後十一時半まで事務所で働くのだといった。マリーナは十二人兄弟の次女で、すでに結婚している弟もサンパウロに出て、会計士として働いていた。
 土曜日は昼過ぎまでトレメ・トレメのアパートで寝て過ごし、児玉はドゴンに向かった。そこでマリーナと昼食を摂りながら二時間ほど会話の練習をした。最初の一時間はポルトガル語で会話をした。
 会話といってもその内容はいつの間にか取材のようになってしまった。
「いつ生まれたのですか」「サンパウロ州で生まれたのですか」「祖父母の出身地はどこですか」
 そんな質問にもマリーナはゆっくりとわかりやすい発音で答えてくれた。会話を続けていくうちに、マリーナが育ってきた環境を知ることができた。サンパウロ州とミナス州の境を流れるグランデ河流域で、祖父母も両親も米作りをしてきたようだ。
 その後、年老いた祖父母は農業を離れミゲロポリスでホテルや輸入雑貨店を経営していた。両親は米作りを続けたが、生活は貧しくマリーナは移住地の小さな小学校に通っていた。
「歩いて一時間かかるとところに先生一人だけの学校があって、そこに兄弟で通っていたの。貧乏だからパンを一切れずつもって全員裸足で通学したのよ」
 マリーナは屈託がなかった。聞き取れない単語があると、児玉はそれを質問した。マリーナはすぐに辞書を開いて、単語を指し示してくれた。その単語に児玉は受験勉強のように赤鉛筆で線を引いて暗記した。日本から持参した辞書に赤線が毎週増えていった。
 マリーナも児玉から日本の現状を聞きだそうと、懸命に日本語を使った。マリーナは小学校四年の義務教育を終えると、祖父母の店を手伝った。日本語はその時に祖父母から教えてもらった。そのためにマリーナの日本語には熊本訛りや広島の抑揚が加わっていた。
「児玉さんは東京で生まれたとですか」と聞いてみたり、「私の両親は元気でおるけんが、児玉さんの両親は?」と尋ねたりで、児玉は少なからずマリーナの日本語には戸惑った。しかし、すでにパウリスタ新聞の二世、三世から同じような日本語を聞いていたので、さほど驚くことはなかった。
 マリーナが持っていた辞書は学研が発行している「小学生の漢字読み書き辞典」で、小学校中学年の漢字の読み方と筆順が書いてあった。マリーナはこの付録で漢字を学んだようだ。祖父母が日本人とはいえブラジルで日本語学校に通わずに、独学で日本語を習得する困難さは児玉には想像もつかなかった。


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