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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(10)=米英も加担した排日法

ニッケイ新聞 2013年5月25日

 しかし、以上のことだけでは、説明のつかぬ点があった。法案成立の折の大き過ぎた票差である。
 これは、実は、背後に巨大な勢力の工作があったためである。
 その点に関して、日伯新聞は当初から某国の名を明示、警告していたが、ブラジル時報も後に、その工作の内容を詳しく記している。
 古谷、宮坂らも、この点にふれている。彼らが、排日法成立の直後まとめた『伯国新憲法審議会に於ける日本移民排斥問題の経緯』という小冊子がある。これが「結び」の項の中で次の様に記している。
 「某々国の共同策謀は各種の情報によって明瞭であり、一は、某老獪国が伯国市場に於ける日本品の駆逐策として日本移民の入国阻止による日本船の来航食止を画策した苦肉策であり、他は同じく某列強が、聖州原綿の生産低減及びその輸出問題の解決を目的として策動せるものである。特に満州問題を繞る両者の対日共同圧迫の如き、幾多の政治的、経済的有力なる理由に基いて二分案の通過に拍車を掛けたことなど見逃し得ぬものがある」(原文のママ) 
 文中「二分案」とは、排日法案のことである。前記「2%への制限」の部分をとって仮称したもの。
 では、その背後で策謀した某々国とは、どこなのか?
 日伯新聞とブラジル時報は、それを米国と英国としている。古谷、宮坂たちは流石に、それは避け「某老獪(ろうかい)国」とか「某列強」と表現している。が、某老獪国が英国、某列強が米国を指していることは、明瞭であった。
 第一次世界大戦後、日本と米英は、国際市場に於ける利害が対立していた。しかも三国とも、1929年に始まった世界恐慌からの脱出に躍起となっていた。三国に限らず世界中で、同じ目的の、なりふり構わぬナショナリズムが横行していた。
 日本でも、その脱出策の一つとして、輸出商品(主として綿製品)のダンピングに走ったり、満州に進出したりしていた。米英は、これに強く反発、内外で反日世論を煽り、日本商品の流入を阻む障壁を、国際市場につくろうとしていた。
 日本政府の対ブラジル移植民事業の奨励も、脱出策の一つであった。
 それに米国が気づいた。自国の裏庭、縄張りと思っているブラジルへ、大量の日本移民が流入しており、しかも彼らが米国産と競合する良品質の綿を大規模に生産していた。驚き、かつ怒り、反撃に出た。(米国は、低迷する自国産の綿の価格回復のため、生産制限までしていた)
 これに、国際市場で日本の綿製品に市場を蚕食されている英国が、一体となっていた。
 両国は、ミゲール・コウトと手を組み、さらに他の数人の議員も抱き込み、制憲議会を動かし、排日法を成立させようとした──。
 つまり、この排日法の成立の陰には、米英のナショナリズムも存在したのである。
 1934年5月の採決での理解しがたい大差も、その工作の結果であった。
 排日法の成立阻止のため奔走した海外興業ブラジル支店の外事部長、長谷川武は日本大使館から40万円相当の工作費を引き出し、投票の前日、議員たちに配った。が、その夜、米国側が、その3倍の金をバラ撒き、情勢を逆転させてしまうという一幕もあった。
 米英の加担がなければ、排日法は成立していたかどうか判らない。
 邦人社会は米英のナショナリズムによって、運命を狂わされたのである。これは、以後も続く。(つづく)



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