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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(19)

ニッケイ新聞 2013年6月8日

 話は少し変わる。ブラジルは枢軸国との国交を断絶しただけで、宣戦を布告したわけではなかった。が、2月、ニューヨークに近づきつつあったブラジルの商船がドイツの潜水艦に撃沈された。以後、大西洋上で同じ事件が続いた。ドイツ潜水艦は米国への軍需物資の輸出阻止を目的として攻撃していた。
 無論、多数の死者が出た。それと、当時、経済界は、米国への軍需品の輸出による特需で、沸き立っていた。それを運ぶ船を撃沈されたのである。国中が激怒した。
 3月、リオで石射猪太郎大使の監禁事件が起きた。(公館閉鎖後、日本からの派遣館員たちは、帰国のための交換船を待っていた)
 その日、突如リオ警察から私服の警察官が大使官邸にやってきて、政府の命令により、日本大使を官邸に監禁する旨を伝えた。外部との通信が禁じられ、電話線は切断された。日本の権益代表国のスペイン大使のみの出入りが自由であった。
 在サンパウロの日本総領事に対しても、同様の措置がとられた。
 監禁は、在東京のブラジルの大使や総領事が、日本政府から冷遇を受けており、その報復……という名目によるものであった。
 ポ語各紙は一斉に、大使や総領事が日本に於いて言語道断な取扱いを受けている……と、一面に特大級の見出しを掲げて報道した。ジアリオ・デ・ノイテ紙の掲載記事は、こうであった。
「ブラジル代表として日本に遣わされた大使、総領事は警察に監禁され、外部との一切の交渉を遮断され…(略)…非常な弾圧と苛酷なる取り扱いを受けており、ブラジル大使館は憲兵によって占領されている」
 この騒ぎは日本にも伝わった。スペイン大使館の通報によるものであったろう。14日の東京ラジオは日ポ両語で、在日ブラジル大使・総領事の監禁説は米国の流したデマであるとし、次の様に実情を伝えた。
「…(略)…日本ではブラジルの大使に対し旅館に休養して貰うべく好意的申入れをしましたところ、大使は日本政府の厚意に感謝しつつ、なお大使館内にとどまるとのことでありましたので、大使の意志を尊重し、従前通りにして貰っておりますので、日本との国交断絶後も、以前と少しも変わることなき好意をもって礼遇し、今日に至っておるのであります。日本政府は、中立国たるスペイン大使を通じ、大使、総領事に対する不当な監禁を即時解除せらるるよう交渉中であります」(「大使、総領事に対する」は「ブラジル政府に、日本の大使、総領事に対する」であろう)
 なお、このラジオ放送のアナウンサーは、ブラジルからの留学生・平田ジョアン進であった。平田は福岡県の隠れキリシタンの後裔で、1914年、サンパウロ州サンマヌエル(ソロカバナ線)で生まれた。1940年サンパウロ大学法学部を卒業、翌年、日本政府招聘の留学生として渡日、戦時中は東京ラジオの南米向け放送のアナウンサーをしていた。1951年帰伯、後に連邦下院議員になった。
 大使、総領事の監禁と並行して、各地で一斉に警察が日本人を逮捕したり、その家宅捜索をするようになった。スパイ容疑によるものであった。新聞も日本人に対する悪意の記事を多く載せるようになり、一般市民の対日感情を、急激に悪化させた。
 1942年3月、半田日誌。
「八日 …(略)…コンデ方面では、大分、警官に家宅そうさくされたという話をきいた。目的は武器押収にあったらしいが…(略)…カミソリまで持って行った。河辺さんのところでは、お金を二百ミルぬすまれたそうだ。大勢でドヤドヤとやってくるので、とても目をくばっているわけにはゆかない」(つづく)



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