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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第102回

ニッケイ新聞 2013年6月25日

 しかし、朴仁貞は一度言い出しら、簡単にはそれを引っ込める性格ではないことを幸代自身がいちばん理解していた。
 最後には隣の住人に聞こえるような大声で幸代を詰り出した。
「もう二十年近くも家族と会えないでいるのに、どうしてそのくらいの金が作れないのか。この親不孝者が、大学まで卒業させてやったのに」
 母親がまだ元気な頃は、日雇い仕事で生活費の一部を稼いでくれたこともあったが、二人の生活費を稼いできたのは幸代だし、大学の授業料はすべて奨学金で賄ってきたのだ。
「人聞きの悪いことは言わないで」
 幸代も負けてはいなかった。注意しても私語を止めない大学生や居眠りしている予備校生を怒鳴り飛ばし、大声を張り上げることには慣れていた。娘に怒鳴られたことなどない母親は顔をひきつらせた。
 反撃されるだろうと幸代が身構えていると、年齢のせいなのか母が突然泣き始めた。それもこの世の不幸を一身に背負ったような慟哭だ。
「アイゴー」
 畳に拳を振り下ろしながら泣き叫んだ。幸代は相手にする気にもなれず自分の部屋に入ってしまった。予備校での幸代の評価は、受験生の偏差値をどれだけ向上させるかにかかっている。生徒の模擬試験の結果がそのまま幸代の評価であり、収入につながった。
 予備校の授業がある時は、化粧も念入りにした。その方が男子生徒の受講生が増えたからだ。着るものも体型がわかるようなものを選んで着た。そんな苦労を母親はまったく理解していない。自分の部屋で明日の授業の準備を始めた。
 一時間もすると、突然襖が開いた。母親は泣いてはいなかった。むしろ冷静な表情で「なんとか工面してもらえないか」とパンフレットを突き出した。
「何よ」
 幸代が受け取ろうとしないでいると、母親はパンフレットを予備校の日本史テキストの上に置いた。
「北朝鮮人民民主主義共和国への短期訪問団」
 と記されていた。
「後で見ておくわ」
 幸代はパンフレットを取り、床の上に放り投げた。
「聞いておくれよ」
「もうすぐ受験シーズンで、生徒をたくさん合格させないと、来年の給与に響くの。だから後にして」
「容福が死んだらしい」
 まったく予期していない言葉を母親が呟くように言った。
「エッ、今、なんて言ったの?」
 幸代は聞き返した。
「容福は強制収容所で死んだって、白さんが教えてくれたんだよ」
 白一家は長男と二男夫婦が先に帰国し、後に両親とまだ高校生だった長女を連れて帰国する予定だった。しかし、焼肉屋の経営が日本の高度成長とともに繁盛し、横浜市内に二店舗、新宿区に一店舗を所有していた。
「白さんが亭主に偶然会ったらしい」
 白徳根から直接聞いた話によると、父親の金寿吉と再会したのは黄海北道の道庁がある沙里院だった。沙里院は日本の植民地時代には平壌とソウルを結ぶ都市として発展した町だ。短期訪問で共和国を訪れた在日は、共和国側が用意したスケジュールに従って行動しなければならない。訪問団は行きたくもない金日成ゆかりの地や史跡を訪ね、最後になって肉親と再会する時間を与えられるらしい。
 その時間も寄付金の額によって異なり、家族の家に宿泊するには三百万円以上の寄付をしなければならない。しかも宿泊する時も指導員が同席し、家族だけで自由に話ができないようだ。指導員に遠慮してもらうにも袖の下を使わなければならない。(つづく)


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