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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第124回

ニッケイ新聞 2013年7月26日

 飲む機会が減ったのは、体調を崩したことも理由の一つだが、パウリスタ新聞の給料がまともに支払われなくなったことも影響している。もともと給料は薄給の上に、さらに遅配が重なったのだ。会計は二階にあるが、夕方になると螺旋階段に列ができた。印刷部、写植部のスタッフも、自分の仕事を放置したまま列に並んだ。
 会計部長の中村の後ろには立派な金庫が置かれていたが、金庫の中の金がなくなると、支払いは止まった。遅配した給料を全額支払うことができないので分割にして一週間分を払っていたが、それでも全員に支払うのは不可能だった。もらうことができなかった社員は、翌日、三時くらいから中村の前に並ぶようになった。
 遅配した給料は、最初の頃は一週間分程度は支払われていたが、その金額も三日分程度の金額に減り、社員の誰もが自分がもらっている賃金が何ヶ月前の給料なのかわからなくなっていた。それほど遅配はひどかった。
 児玉も印刷部から呼び出されるまでの時間を利用して列に加わった。児玉の三、四人前で金庫の金が尽きてしまうことがたびたびあった。同じことが三度重なり、中村の前から誰もいなくなったのを見計らって児玉が頼みこんだ。
「今晩のメシ代もないんですが、なんとかなりませんか」
 中村は分厚いレンズの眼鏡で児玉を見上げ、椅子に座ったまま後を向いて金庫の扉を開けた。
「ご覧の通りだ」
 金庫には何も入っていなかった。中村は児玉には目もくれずに遅配した給与の領収書の整理を始めた。
「会社には本当に一銭もないんですか。私もこれでは困るんですが……」
「ないものは払えない」
 中村は取りつく島もなかった。
「メシ抜きで生きろということですか。わかりました、園山社長にかけあいます」
「園山社長に何を言っても無駄だ。お前、本当に一銭もないのか」
「ないから頼んでいるんです」
 中村はようやく顔を上げた。よれよれの背広の胸ポケットから財布を取り出すと、十クルゼイロ紙幣を二枚取り出し、黙って児玉に渡した。バールで安い食事が一回できるくらいの金額だ。児玉はそれを受け取り、編集部に戻った。
 サンパウロで発行されている日本語新聞は三紙。しかし、サンパウロ新聞と日伯毎日の経営状況はパウリスタ新聞ほど悲惨な状態ではない。
 神林デスクが不機嫌な顔で二階から戻ってきた児玉に聞いた。
「もらえたか?」
「金庫は空で、中村さんの財布から少し借りてきました」
「それはよかった」神林は笑いながら言った。
「何故パウリスタ新聞の経営状況はこんなにひどいんですか」
 神林がパウリスタ新聞の経営状況について説明してくれた。戦後、サンパウロ新聞、続いてパウリスタ新聞が発行された。パウリスタ新聞は負け組の人間が中心になって日本の敗戦を報じた。その他に日本の勝利を報じたブラジル中外新聞や昭和新聞も堂々と発行されていた。しかし、時の経過とともに勝ち組の新聞は衰退し、やがて消えた。
「サンパウロ新聞は『天皇帰一説』を唱えて、読者を獲得し経営基盤を確立したんだ」
「なんですか、その『天皇帰一説』というのは」児玉が聞き返した。
「終戦直後は勝ち組が八割、九割と言われていた。だからパウリスタ新聞は最初から売れなかった。やがて勝ち組も事実を知ることになるが、パウリスタ新聞は読みたくなかったんだろう。レロレロと揶揄されるサンパウロ新聞は皇室は健在、日系人は皇室をよりどころに生きていけばいいと、勝ったのか負けたのかには触れない記事を出し続けた。しばらくすると勝ち組の読者はサンパウロ新聞に流れた」(つづく)


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