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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(81)  

 

ニッケイ新聞 2013年9月19日

 

 司法大臣、大統領も……
 1946年8月10日、司法大臣から、アンシエッタ及びカーザ・デ・デテンソンに拘置中の80名の「国外追放令に、ガスパール・ドゥットラ大統領の許可が下った」ことが、発表された。
 追放令は、サンパウロ州政府(社会保安局)の申請に基づく行政処置であった。
 州政府は、認識派の要望で、そうした──という説もある。多分、そうだろう。前記の請願書を追う様に、この申請がなされている。 ところで、追放令発表の記者会見の折、司法大臣が、臣連をテロ組織と見做す発言をした後「約10万の会員を擁するという臣道連盟」と表現したという。大臣は本当に、そんなことを言ったのだろうか。念のため、調べてみると、当時のエスタード紙に、そう出ていた。
 国外追放処分の申請の折、司法大臣は「サンパウロ州警察当局の取調べについて、大統領に詳細を説明した」という。とすると、大統領も、その10万という数字を信用して、追放令に署名したことになる。
 しかしながら、この約10万というのは、元々、臣連側が吹聴していた宣伝のための数字なのである。法螺である。
 ちなみに、当時のブラジルの日系人の数は、山本喜誉司・須田為世共著『ブラジルの日系人口推移』には、1946年時点で27万7千人と記されている。
 一般では、大雑把に30万といわれていた。この30万を基準にすれば、臣道連盟員を10万としたら、邦人3人の内1人が連盟員という計算になる。女、子供、年寄りを除くと、成年男子の殆どが連盟員になってしまう。仮に、臣連がテロ組織だとすると、その成年男子の殆どがテロリストになってしまう。そんな馬鹿げたことが、ある筈はない。
 臣連側は、事件発生以前「家族を含めれば10〜12万」とか「連盟の協力者は10万人居る」とか宣伝していたという。 これは明らかにハッタリである。が、一部には会員10万という風に、伝わったのであろう。
 司法大臣の言うサンパウロ州警察当局とは、オールデン・ポリチカのことである。
 臣連の会員約10万という数字は、1946年3月、オールデン・ポリチカの捜査班が、森田芳一から聴取してつくった参考人調書に記されている。森田は、それを誰かから聞いて、軽率にも信用してしまい、話したのであろう。オールデン・ポリチカも、その数字を疑わなかったのである。 オールデン・ポリチカは、政治犯を扱う警察であった。ために精鋭が集まっていた……と想像されがちだが、これも間違いである。
 前出の『拘留報告書』の筆者は、オールデン・ポリチカ内部の事務が驚くほど乱雑であり、既に釈放されたものを尋問に呼び出したり、尋問終了者と未終了者を混同したり、姓名を出鱈目に記録したり……等々で支離滅裂と呆れている。
 オールデン・ポリチカの刑事の中で、尋問を受けた人々の記憶に、その名が刻み込まれた人物がいる。捜査・取調べの実務の中心であった通称ロンドンである。
 ロンドンは、その後、馘首されている。一連盟員の身柄を拘束した時、所持金を押収、その連盟員が押収書を要求すると「俺の手に入ったモノは俺のモノだ!」と暴行を加え、瀕死の重傷を負わせたためだ。
 そういう水準の刑事たちのつくった調書の中の約10万という数字を、社会保安局長、執政官だけでなく、司法大臣や大統領まで信用、「憂慮すべき事態」と判断してしまったのだ。
 呆れる話だが、この国では、よくあったことだ。現に、この国外追放の実行に関しても、司法大臣も大統領も、もう一つ状況誤認を犯していた。追放を実行できなかったのである。受け入れる国がなかったのだ。 当たり前のことで、テロリストとされている人間を80名も、引き受ける国がある筈はない。打診を受けた米国の註伯大使が怒ったという話も伝わっている。
 80名の国外追放令は、その後、既述の様に取り消された。(つづく)



 

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