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連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(62)

ニッケイ新聞 2013年12月13日

 遊佐が、
「(宗教とは、一歩間違えると危険なものですね)」
「(そうです。・・・、では、仏教について・・・、仏教は、古代インドを原点として生れ、二千五百年ほどの長い波乱の年月を乗り越えてきました。仏教も他の宗教と同じく人間の死への恐怖や色々な人間の苦しみを取り除くために生まれました。ですが、その方法は他の宗教と異なります)」
「(どこが違うのですか?)」
「(お釈迦様が悟った仏教の基本は、死に真正面から立ち向かい、死ぬ前に死んで、死を悟り、死の苦しみから脱します)」
西谷は半分納得して頷きながらも疑問の顔をして、
「(死ぬ前に死ぬ?)」
遊佐も意外な顔をして、
「(死ぬ前に死を経験するのですか?)」
「(そうです。魂が無くなった体はどうなりますか?)」
「(死んだのですから・・・、なにも感じない? で、す、よね)」
「(その通りです。痛み、熱さ、寒さや、あらゆる苦しみを感じません。勿論、死に対しての恐怖もありません。死んだのですからね。それに、亡骸は煩悩にも悩まされず。あらゆる欲も持っていません。つまり無我の境地です。これが仏教の教えの特徴です)」
「(それで、僧侶達は修行して、無我の境地を追及する訳ですね)」
「(はい。僧侶達はそれで無となり、心の乱れを取り除く修行をします。そして、『死者や霊の供養』『祈願』の為に『仏像を拝み』『お経をあげ』『お寺やお墓を守る』をしながら『感じている苦しみ、不安の根本を正しく捉え、仏を信じ、苦しみや迷いから開放され、安らかで平和な日々を送る』を悟ります。これが仏教の・・・)」
 台所から奥さんが、
「(あなたー、豆が煮えましたよ! 味付けて!)」
「あっ、失礼します。中嶋和尚の話に夢中になって夕食の準備を忘れていました」
丁度この奥さんの叫びで、
「(もっといい説明の仕方があると思いますが、仏教の特徴が少し分かっていただいたと思います。私は未だ新米の僧侶です。これでお許し下さい)」そう言って、中嶋和尚が頭を下げて話を終わらせた。
軍曹達は数回頷いて満足し、中嶋和尚に丁寧に頭を下げた。

 十分後、遊佐と奥さんの自慢の料理が大きな鍋や皿に盛られて広い机に並べられた。台所はまるで晩餐会の様になった。
皆のコップにビールを満たし終わると、遊佐も食卓に加わり、
「(一生懸命に作りました。きっと満足していただけると思います。どうぞ召し上がって下さい。まず、西谷さんのこの世への生還を祝って乾杯しましょう)、カンパーイ!」皆は冷たい美味しいビールを一気に飲み干し、待ちに待った御馳走を食べ始めた。

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