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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (121)=工業用ダイヤを日本に密輸=生涯隠してきた〃重い十字架〃

ニッケイ新聞 2014年2月8日
本間剛夫(21番)が来伯した折に行われた謝恩会(『エメボイ実習場史』318頁)

本間剛夫(21番)が来伯した折に行われた謝恩会(『エメボイ実習場史』318頁)

本間剛夫が腹に巻いた〃サラサラと鳴る砂〃は工業用ダイヤだった。日米開戦の直前という瀬戸際に、兵器製造に不可欠なそれを、米軍の目を掻い潜って持ち帰るという命がけの特命だった。普通なら民間人にやらせるような任務ではない。本間にはその覚悟があると誰かが見抜き、抜擢した。

小説の後に本間はあえて説明文を付けた。《サンパウロで銀行員だった私が、なぜ工業用ダイヤを腹に巻いて帰国しなければならなかったか。それは、読者が十分、納得されるように述べたつもりですが、作者にとっては、まことに不合理な悲哀というべき宿命でした》(『パナマ』55頁)。つまりほぼ実話だと告白しているに等しい。

1940年11月に駐伯大使として赴任した石射猪太郎に関し、『物故者列伝』(日本移民五十年祭委員会、30頁)には《日華事変が激しくなるに連れ、移民の渡航も殆んどなくなり、駐伯大使としての仕事はなく、手も足も出ないという状態に追い込まれた。只日本から戦略物資として、ブラジル産の工業用ダイヤや、水晶を初め、皮革、棉花などを買付けに来たので、そうした人達の援助をするのが精々の勤めであった》とある。大使館は実際に戦略物資の〃買付任務〃をしていた。

石射は第14回で紹介したように東亜同文書院の第5期卒業生で、外務省では〃移民課長〃として海興を通し約5万人を伯国に送り出した人物だ。その東亜同文書院の院長をしていた国権論者の杉浦重剛は東京シンジケートの創立期メンバーでもあった。本間のケースは、軍事拡張主義的な方向性に、日本政府筋が民間人を巻き込んだ一例だ。

終戦直後1947年4月にパ紙記者になった水野昌之は、13年10月のニッケイ新聞15周年記念「円売り事件の真相」座談会で衝撃的な証言をした。祖国では使えなくなっていた旧円を同胞へ高く売った詐欺「円売り」の売上資金を使って、戦中に凍結された日系企業の資産を解除する運動(政治家への働きかけや膨大な献金など)が行われたのではとの推測が一部で持たれていた。

だが、水野は真っ向からそれを否定し、サ紙の内山勝男編集長や日毎紙の中林敏彦社主から聞いた話として、次の驚くべき逸話を語った。

開戦前、米国主導で必需品輸入を止められた日本軍は、工業用ダイヤなどの軍需物資調達に苦慮し、南米でこっそりと買付けしていた。その買付資金の残りが、戦中もブラ拓、海興などの日本政府筋に秘密裏に温存された。それが戦後の資産凍結解除運動に使われたとの説だ。

南米に機密費が隠匿されたことは、戦後日本でも知られていなかったに違いない。まして預かった側もそれを公にできなかった。〃天皇陛下の軍隊〃の機密費を流用したと明らかになれば、その問題度は円売り事件の比ではない。

資産凍結解除運動に邁進した当時のコロニア中枢部は、「円売り事件」を問題視することで機密費流用問題という〃極秘事項〃を守り通したと水野は考えている。本間の体験的小説は、工業用ダイヤの闇取引と機密費が実在したことを証言するものであり、水野の話を裏付ける。

☆  ☆

本間の息子久靖に、玉川大学同級の大槻洋志郎を通して小説の事実関係を問い合わせた。すると《『パナマを越えて』は父の自叙伝とも小説ともとれる作品ですが、「小説家、見てきたような嘘を書き」ともいいます》と暈した返答をした。

学生移住連盟第6次団として66年に来伯した大槻は「当時エメボイ卒業生の間で、本間剛夫さんのイメージは『戦雲漂う中で祖国に帰ったエロイ(英雄)』という感じだった」と振りかえる。

愛国心ゆえに引き受けざるを得ず、非合法性を一生抱え隠し通し生涯の最後に小説として発表した。〃重い十字架〃を担いで生涯を過ごし、奇しくも移民百周年の08年2月に96歳で他界した。

若くしてあまりに鮮烈な実体験をしてしまった。それゆえ、その現実を超える「架空の物語」を描くことができず、小説家として大成できなかったのか。帰国したとはいえ、彼の生涯こそ極上の〃移民小説〃ではないか。(つづく、深沢正雪記者)

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