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戦前戦中の移民史に光当てる=真相究明委員会謝罪の背景=(下)=次は法務省に持ち込みたい=父の無念の想い胸に行動

ニッケイ新聞 2014年3月21日
IMJ社の故奥原マリオ清政さん

IMJ社の故奥原マリオ清政さん

「真相究明委員会の名において日系コロニアに謝罪する」――サンパウロ州小委員会は同州議会で、昨年10月10日午後、「日本移民の死と拷問」に関する公聴会を行い、連邦レベルの同委員会メンバーのカルドーゾ弁護士は特別にリオから出席して、そう謝罪した。

当日は3人が証言した。何の罪もないのにアンシェッタ島に流された故山内房俊の息子、山内アキラの証言映像が流され、「獄中のことを証言するよう父に何度も言ったが、話したがらなかった。日本人が嫌いな軍曹に拷問や酷い扱いを受けたと父は言っていた」と話した。カンバラ・シズコは、1946年に警察の拷問で亡くなったとされる写真家・池田フクオの投獄の様子を証言した。日高徳一=マリリア在住=は、当時日本移民が受けた違法投獄、拷問などの不当な扱いについて証言した。

カルドーゾ弁護士は「かつてのブラジル人エリートは常に人種差別者だった。ブラジルが発見された当時、下等民族とみなされたインディオが大量虐殺され、黒人は動物、商品として非人間的な扱いを受け、その次は移民、特にアジア系移民が標的にされた。戦争中にその差別が顕著になった」と認め、謝罪した。

2時間余りの公聴会には約150人が出席した。奥原は「普通の公聴会は証言を聞いておしまい。今回のように両国歌斉唱をし、戦中を映像で振り返り、日本語の歌を入れ、儀仗兵に追悼ラッパを吹かせて、献花するというのは異例中の異例。ジョーゴ議員がすべて差配してくれた」と深く感謝する。

政府に近い筋が、日本移民への人種差別を初めて正式に認めて謝罪したものであり、ブラジル近代史においてもインディオ、黒人以外にも人種差別があったことを認めたという意味で歴史的な発言といえる。

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IMJ社は1970年10月から日系人初のテレビ番組を始めた伝統ある会社で、奥原康永(こうえい、兄)と奥原マリオ清政(弟)が共同経営していた。芸能人招聘事業を頻繁に行い、同年8月には美空ひばり公演まで成功させた。

清政の息子、奥原マリオは真相究明委員会に今件を持ち込んだ理由を、「父がブラジルに来たのは1937年。まさにヴァルガスの新国家体制が始まった年だった。当時、父の家族はアラサツーバに住んでいたが、日本移民への暴行、犯罪はひどいもので、川に突き落とされたことまであったと父から聞いた。本来なら、父は自分のテレビ番組の中でそのことに触れたかったが現実には不可能だった。だって当時は軍事政権の時代だから」と説明する。

「ブラジル政府は日本人に謝るべきだと、父はいつも言っていた。賠償金が目的じゃない。このような残酷な歴史が、二度と繰り返されないようにするためには、まず公式な組織が歴史的な事実として取り上げ、そこで認められることが必要だと思った」と強調する。

日本移民史料館に真相究明委員会の謝罪メッセージを刻んだ金属板を設置したいとのアイデアが出ているという。奥原は「今回の謝罪はあくまで委員会としてのもの。政府の正式謝罪まで持って行きたい。大統領もしくは連邦議会だ。だから次はこの件を法務省に持ち込むつもりだ」と語った。

このような政治的な動きは一世には難しい。二世世代ならではの新しいルーツ探求意識の表れといえそうだ。奇しくも13年は、ヴァルガス時代の中でも特筆すべき迫害、6500人もの日本移民サントス強制立ち退きから70周年だった。(敬称略、終り、深沢正雪記者)

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