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月刊誌『潮』=SGI南米布教連載5月に=貴重な笠戸丸移民対談記録

ニッケイ新聞 2014年3月25日

「総合月刊誌『潮』で掲載中の、創価学会インターナショナル(SGI)の池田大作会長の軌跡を追う連載「民衆こそ王者」の5月号から中南米・ブラジル編が始まり、その中で池田大作先生と児玉さんの対談の話も振りかえられる予定です」。ブラジル創価学会の高坂ジュリオ理事長(67、二世)はそう語りながら、池田会長と笠戸丸移民の児玉良一さんの対談を収めた著作『対談・太陽と大地 開拓の曲』(第三文明社、1991年)を、縁のある本紙に寄贈した。

広島県に古くからある酢づくり職人の旧家の長男として児玉さんは生まれたが、13歳で親戚一家の構成家族として単身渡伯し、「15歳のころにはブラジルの土になろうとハラを決めました」(4頁)という。構成家族と3カ月目に分かれ、矢崎節夫らに奉公先の家庭を紹介され、ポ語を覚えた。結婚して家庭内でも子供にポ語を使ったので、長男ラウルさんは日本語をしゃべらない。彼は第2次大戦でイタリア戦線ブラジル派遣軍として参戦し負傷した。

そのラウルさんが創価学会に帰依し、池田会長に一目会いたいと考えたことから、移民80周年記念として88(昭和63)年5月に父良一さん(当時93歳)と共に訪日した。その際、日伯毎日新聞(本紙前身)の高木ラウル社長が骨をおって面会の段取りをした。

その縁で良一さんと池田会長が対談することになり、その内容が出版された。『潮』連載の中でその経緯に触れるという。池田会長とブラジル関係者の対談集は児玉さんを含めて3冊でており、他にアウストレジェジロ・デ・アタイデブラジル文学アカデミー総裁、天文学者のロナウド・モウラン博士だ。笠戸丸移民との対談が本になった例は他になく貴重な著作といえ、ポ語訳も出版されている。

池田会長は世界的な科学者や知識人との対談を重ねてきたが、児玉さんとのそれは一風変わっている。《日伯の友好の懸け橋となった、尊い庶民の歴史の証言を残しておくことこそ大切であると思い、対談を提案させていただいた》(8頁)とある。良一さんは1912年10月10日、おそらくサンパウロ州では日本人としては初めて自動車の運転免許を取得した。その写真が同著作に掲載(89頁)されており、画像を拡大すると日付が確認できた。人文研『年表』にもその日付が載っていない貴重な記録だ。

高坂理事長は「池田大作先生はブラジル移民に強い関心を持たれ、そこから今のようにブラジル人へ広まる基礎が作られた。都合4回来伯され、うち1984年の来伯から今年は30周年。それを祝ったばかり」と振りかえった。良一さんは同対談で貴重な体験を語った後、翌89年9月に逝去した。

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