ホーム | 連載 | 2014年 | 島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一 | 島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(11)=運動会の種目に「牢破り」=リオのサンバ慰問団がショー
戦前のバストス移住地の相撲大会の様子《『ブラジル日本相撲史』(中村東民、1978年)より》
戦前のバストス移住地の相撲大会の様子《『ブラジル日本相撲史』(中村東民、1978年)より》

島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(11)=運動会の種目に「牢破り」=リオのサンバ慰問団がショー

 前日から20名ほどの青年がその準備にかかり、相撲の土俵も出来、広場の中央に柱を建て、万国旗の代わりに紅白の小旗を八方に飾り、立派な会場が出来上がった。
 午前中は相撲、プロミソン出身の鈴木光威君が優勝、彼は有名な鈴木貞次郎南樹の甥である。2位はツパンの泉沢春雄君。元気な者ばかりであるから大熱戦であった。
 午後は盛沢山のプログラムの運動会が始まり、相手がないので嫁探しはなかったが、他の運動会には見られない「牢破り」という種目があった。相撲では土つかずではなく土だらけになり最下位であった自分が、「牢破り」では二位になり面目を保ったのである。
 伯人の囚人も参加させたが、彼等だけで競技を行い、獄舎では煙草は貴重品なのでそれが皆に渡り、殺風景な牢の生活であるのに一日お祭り気分であった。
 ビールでもあったら飲める人には良かったであらうが、シロップ入りの水とお茶とカフェーで我慢して頂いた。囚われの身を忘れた一日であり、外国の公的機関で休日となり天長節を祝う事が出来たのは他になかったと思う。

サンバの踊子

 刑務所始まって以来と云う楽しい一日を過ごした催し事によろこんだ伯人の囚人達が、インペラドールへのオメナージェン(顕彰)として、次の週に芝居と踊りを行った。広場に舞台をつくり装置なども苦心して揃え、土曜の夜、お手のものとサンバの賑やかな音楽で幕があいた。
 最初は6幕の彼等の人生を地でゆく物語りで、家庭の破壊で少年時代から悪の世界に入り罪を犯し、無事に刑を終え行方の不明であった家族と再会するというものであった。彼等も心の内では何時の日か家族と平和な生活をねがっているのであらうと思ったのである。
 それが終わると、その日の呼びもののリオからサンバ団の一部が慰問に来て、踊子がサンバを披露するという。
 挨拶に立ったリーダーの話では、「遠方であるし、費用やその他の問題で4名しか招待する事は出来なかったが、踊子は一流であり、皆様は楽しんで頂けるであらう」と真顔で云って音楽が始まった。それに合わせてムラッタ(註=混血女性)が烈しく腰を振りながら愛嬌たっぷりで出てきてサンバの踊りを見せてくれた。
 田舎者の我等、もちろんその中に自分も居るのだが、都会から来た踊子を見るという様な経験はなかったし、「島にこんなムラッタが居る筈はない」がと不思議でならず、ショーが終わって部屋にかえって残って居られた年長者に話すと、「お前達が世間知らずの馬鹿だから口を開けて見ていたのであろうが、あれは囚人の中に居るオカマで、盛り場などで間抜けの者達を騙して金を巻き上げる奴共だ」と笑われたものである。
 世の中にはその様な化物が居るのかと驚いたのであった。
 
格闘技試合

 運動会、相撲の対抗試合、それに美女のショーとお祭り気分が続いた。相撲を彼等(註=伯人の囚人)も見ていたが、勝負があっさりときまるので組み易しと見たのか、向こうのリーダーから我等の室長に試合を申し込んで来たのである。
 その時は「相手にする事は無い」と皆の意見で断ったのである。ところが彼等が「ジャポネスは自分達を恐れている」と云い出したと耳にしたのである。
 彼等と仕事場も異なり交わる事はなく、奴等も一目置いていたが、挑戦を断ってから「日本人は我等を恐れている」と部屋の前を通る時、腕を叩いて見せる様な奴が現れた。(つづく)

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