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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=23

 気に入った。もう決まったも同然。後は契約書を見るだけだ。契約書は持ち帰ってドゥアルチーナの弁護士に見てもらわねばならぬ。一番大事な点は初年度。再生林の開拓費として無料と明記されているかの確認だった。その確認が出来、いつでも移動できるようになった。

第六節    再起への道

 1941年の世界情勢は混乱としていて、日米の間ではいつの日か戦火の洗礼がかかるのではないかと、日系社会の中では心配の空気が淀んでいた。ブラジルの新聞やラジオでも盛んに報じられていたようだが新聞は読めず、ラジオもない。日本新聞は発刊停止であちこちから途切れ途切れの情報が入るだけでまるっきり闇の中のような感じがしていた。
 日本からの最後の連絡では、次男の兄の誠がソ連国境の警備兵として久留米48連隊より出征し、警備中の重武装の写真が届いた。その後の消息もないまま、バウルーの領事館を通し、皇軍の武運長久を祈り慰問袋を送った。あれっきり音信が途絶えたままになっていたが、こっちでも生活の再建を図り始めた最中でおり、胸が不安ゆえやはり勇む心で一杯になり、次兄の健全を祈った後、心の隅において前向きに進んだ。
 これから向かうアリアンサ植民地は日本人のいない所。それならそれなりで日本人の働き振りを見せようじゃないか。父と兄貴は再起の決心が固く見えたが、母が不安そう。気安に話せる相手が居ないからだろうか、それとも日光植民地の件に対して責任を感じていたのか、なぜか悲しそうな表情だった。年老いた母にだけは悲しい思いはさせたくなかった。
 だが、生活がかかっている。母もそう感じてか、思いなおしたような気もした。4年後には一廉の百姓になってみせると云う自負はある。もはやブラジルに着いた頃の13歳のひ弱な青年ではなかった。19歳で腰には38口径のピストルも下げ、どくろを巻いているカスカベール(毒蛇)を一発で仕留める腕前も、カマラーダを追い回す度胸も付いた美青年に成長していた。仕事は一人前に何でも出来た。できない事は強盗と人殺しで後は恐い物知らずだった。
 再生林はほとんど牛で起耕し、棉の植え付けも相当出来た。その他の場所にはミーリョを植え付け、外の時期はずれになったところや岩の多い所などは放って置くより外はなかった。
 カマラーダを使っての仕事だったので、能率の上がらない所にはエネルギーを費やすまでもなかった。再生林の起耕は牛に限っていた。3月中には起耕が済む予定だったが、そこが叉時期外れだったので、フェイジョンでも蒔いて次の作を待つことにした。だがそれまでには意外と金がかかり、手持ち金が残り少なくなった。
 牛の半分位は売らねばなるまいと兄貴と話していたら、青田貸でも利用して何とか待ってみようとのことで、ぎりぎりまで待つことにした。すると、時期外れに蒔いたフェイジョンが思いの外穫れて一息ついた。
 そうこうする内に4月頃には早蒔きの棉も上出来でボツボツ摘めるようになり、金策の心配もどうにか切り抜けそうになった。棉と雑作に35アルケール程の植付けができた。来作は38アルケール程のは植付けができそうだ。2アルケール程は岩山で放っておいても損にはなるまい。一仕事が終えたら余り手のかからないマモナでも植えて置こうと考えた。でもこれも後のこと。気になっていたのは外人たちの話だ。

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