ホーム | 連載 | 2014年 | 大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝 | 大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(3)=マリリア市創設期の二人=ヴァルガス「ぜひ会いたい」

大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(3)=マリリア市創設期の二人=ヴァルガス「ぜひ会いたい」

松原を大統領に紹介したというアルキメデス(国立国会図書館サイトより許可を得て転載)

松原を大統領に紹介したというアルキメデス(国立国会図書館サイトより許可を得て転載)

 マリリアの町自体は1926年12月にピラジュイ司法区カフェランジア郡所属「マリリア管区」となり、翌27年4月1日に市制を敷いた。戦前移民・小針一(こばりはじめ)の手記「マリリア市の興りと邦人初期の移住者の動向」には《マリリア最初のホテルはルイス・ブリト・マニャンエス、その弟が有名なアルキメデス》とだけ触れている。同家は町で最も古い商家の一つだった。
 一方、《松原安太郎がリオ・ド・ペインェの土地に二百アルケーレスを購入したのは一九二八年四月である。同年隣接の土地と共に大アルヴァロ植民地(編註=松原耕地の別称)を形成し十七家族によって開拓に従事した》(『汎マリリア三十年史』59年、28頁)とあり、市の創設期に立ち合わせた日本移民の一人が松原だ。
 その前後にマニャンエス家もリオから転住し、子息アルキメデスは1930年に聖州勢に反旗を翻してヴァルガスを擁立した自由同盟(Aliança Liberal)のグループを同地で主導した。32年の護憲革命でも聖州軍に囲まれるこの地で「獅子身中の虫」の如くヴァルガス側で戦い、本人とも知り合った。
 祐子さんは、松原とヴァルガスが知り合うきっかけをこう説明する。「ヴァルガスが革命で拘束され、釈放された後、こんな会話があった」とし、「ヴァルガスが『どこで働いているのか』と尋ねると、アルキメデスは『松原の農場だ』と答え、『とても懇意にしている。(松原は)いい人物だ』と答えたと聞いている」と述べた。
 関心を抱いたヴァルガスの方から「ぜひ知り合いたい」と言い、アルキメデスはリオのカテテ大統領宮に松原を連れて行った。「ヴァルガスは気に入り、信用に値する人物だと判断し、そこから友人関係が始まった」と祐子さんはいう。
 ヴァルガスは2回、計18年間(今もって最長)も大統領職にあった。その間、逮捕拘束されたという史実はないため、「ヴァルガスが〃革命〃で拘束され、釈放された後、こんな会話があった」という部分には疑問が残る。でもそれ以外の部分は、大統領第1期(1930―45年)でつじつまが合う。
 護憲革命の後、アルキメデスは松原農場で働くようになり、その後、冒頭の会話があったと推測するのが妥当のようだ。そして、彼が大統領一期目の間に松原を紹介した。
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 『在伯日本人先駆者伝』(パウリスタ新聞社、1955年、203頁)によれば、1892(明治25)年に和歌山県日高郡岩代村出身(現在のみなべ町)の松原は父平八、母イワの長男として生まれた。1912(大正元)年、二十歳で呉海兵団機関兵として入営し、第一次大戦では巡洋艦矢矧(やはぎ)乗組員として日独戦に出征した。南洋、オセアニア方面で活躍し、カロリン群島占領の功によって勳八等桐葉章を授与された。
 渡伯前に軍人だった松原に対し、祐子さんは「日本ではあの時代、みなが同じ階層で、飛びぬけた成功者というのはいなかったんでしょう。学がある人で、海軍で海図を眺めて、日本から遠く離れたブラジルに思いを馳せたみたい」とのイメージを持っている。
 結婚して渡伯したのが1918年、松原が26歳の時のことだ。(田中詩穂記者、深沢正雪記者補足、つづく)

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