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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=32

 その時に、これまでの経緯をすべて打ち明け、銀行に預かっているお金も当てにならないのでこの土地とパストに居る牛を入金として、3年払いの所を4年払いにしていただくように交渉を進めていただきたいと切に願った。
 すると、「期待に副うべく、皆さんの事情を説明してみます。それが出来ぬ様だっただったら、こちらも飯の食い上げで、この商売をやめる外はない」と冗談めかして帰って行った。その後はあまり期待していなかった。
 あれから10日位して28年型のフォード車で例のコレトールがやってきた。やおら降りるとき大きい包みをひっさげて大声で、「おめでとう! あなたの誠意が認められたよ。商談は希望通りの入金なしの4年払いと承知し、当方の都合の良い日に契約書を作ります」。半ダースのビールと3キロ程の大きなモルタデーラ(大きなソーセージみたいなもの)を肴として祝いにと持ってきていた。
 「お陰で飯の食い上げにならずに済んだ。お互いの健康と繁栄に乾杯!」と、ブラジルに来て初めて祝杯を挙げ、喜び合ってコレトールが帰っていった。家では「40アルケールのコーヒー園を入金なしで買えたのはお前の知恵のお陰だ。それに今年のコーヒーの収穫まで付いているとは、思わぬ授かり物だ」。酒を飲まぬおやじは真っ赤な茹蛸みたいに眠そうだが喜んでいる。兄貴もうまそうにビールを飲んで喜んでいる。
 こちらは18になったが、田舎者で酒は飲んだことはなく、久しぶりにモルタデーラをつまんだが、塩辛くてあまり食べられない。でも、皆の嬉しそうな顔を見て今日の出来事を振り返ってみるとやはり嬉しくなる。母も、兄嫁も、みゆき、好明……稔は母にもたれかかって寝付いてしまった。
 過ぎ去った2カ月余は心身ともに甚だしく消耗させたが、もう遠い昔話のような感じがした。明日を見つめる事が大事だ。新生活が開けようとしている。
 待ちに待った仮の土地所有権が出た翌日は喜び勇んでムダンサとなった。もともと数少なかった家財は全て放ってきていたので牛や馬はあるが、身軽でさっぱりしたものだった。大事なのは老父母と身重の兄嫁。グラリアから軽自動車を雇って事が決まった。 空き家の掃除は使用人が念入りにしてくれていたので消毒液の匂いが鼻をつき清々しい。
 戸を開け放すと風が吹き抜け実に心地良く、ベランダの眺めが素晴しい。左手にはコーヒー園が一望でき、右手にはパストやコロニアが見える。川下の方には小地主の同じ様な家が建ち連なっている。川向こうには広々としたパストが見渡せる。母と兄嫁がどうやらコーヒーを沸かしているようだ。いい香りがしてきた。そうしている間に使用人の嫁さんたちがコーヒーにボリニョ(丸っこい小さなドーナツみたいな物)を持って来て、初対面の挨拶を交わし始めた。ボリニョとコーヒーに打ち解け、顔繋ぎが出来た。おやじは早速鍋釜やカーマをはじめ、家具を買い揃える算段と忙しい。今夜は秋には珍しく暖かく、久々に良い夢が見られそうだ。
 初めて購入した土地は見る目がなく、住宅、果樹園、牧場などへの憧れにつられたといえよう。今度はそれも大切だったが、コーヒー園の現状と地力に焦点を合わせた。10年位したら世界の展望が変わるだろうという見方だ。大分夜も更けてきた。牛小屋あたりでフクロウが鳴いている。
 明日がある。今夜はこの山と積んであるコーヒー豆の空き袋をカーマの代わりにしよう。

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