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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=33

 明日は明日の風が吹く。耕主様となったので希望で胸が高鳴る。2~3日休んだらコーヒーの収穫を始めよう。
 使用人任せには出来ない。バーラ・ボニータで見せた日本人の腕前を。3万8千本のコーヒーの樹を3年かけて人工肥料で蘇らせるのは並大抵の事ではないが、兄妹が協力し合えば力は無限だ。幸いに物事に熱心な兄貴の采配に依ればマンゲイラには牛踏んだ牧草類が山と積んであるそうだ。勿体無い話だ。
 明日からは今まで出来なかった人間らしい生活を始めるために野菜畑を用意する。まず山際の竹を切り出し、鶏に荒らされないように棚を作り、堆肥を混ぜて1週間程ねかし、種を蒔いたら20日位でぼちぼち食べられるようになるだろう。牛乳はコロノ(使用人)達1家族に1リットル分けてもケイジョを作る分も残る。鶏も2~30羽はいるし、豚はその内買えばいい、野菜畑は夕方までに出来上がり、夕方遅く「明日からはコーヒーの収穫を」と計画を立てていた時に親父が買ってきた家財道具が届いた。
 カーマにメーザ(テーブル)、カデイラ(椅子)、炊事道具……全て揃えるまで大変だったが、これでやっと人様並みになった。カーマを組み立て、コジニャ(台所)では老母、身重の兄嫁やみゆきが嬉しそうに新しい鍋釜をきれいに洗い、新品のメーザの上に並べて見入っている。身重の兄嫁までが忙しそうにあっちに行ったりこっちに来たりしてはしゃいでいる。家具の組み立てもコジニャの方も大方片付き、夜中になっていたが皆でコーヒーを飲みながら穏やかな雰囲気に浸り、満足感を味わっていた。
 振り返ってみると、決死の逃避行――その決心も並大抵の事ではなかった。8人の命と40アルケールの土地に満開の金になるばかりの棉畑。危険を冒して棉を摘み上げて金にするか、それとも今のうちに全てを捨てて退出するという危険度の低いほうを選ぶかの瀬戸際に、「今が時だ。もうすぐ大金になる棉摘みを捨てて出ていくとは、誰にも考えられないような事だ。今までの警察のやり方じゃあ、金をいびり取る気持ちだとも考えられる。ただのいたぶりじゃない。危険度が同じだとすると一刻も早くここを出ることにしよう」。その決心はどんなに正しかったか。
 一年間の血と汗の結晶、莫大な営農資金、次年の営農資金の途絶にも等しかったが、とにかく家族の身の安全が一番大事なことであった。昔からの言い伝えに「殺す悪魔もあるが、助けてくださる神もある」それを肝に銘じ、正義を信じ、命を全うした。正義の神は正しい弱者を助け賜る。こうして我が家に今日の団欒を下さった。ありがたい事だ。過去を忘れ、明日を信じ、正しく進もう。
 コロノ達の懸命な働きによって8月の末には収穫を終えることができた。結果は不幸にして予想を下廻ったが、第一回の支払いはできた。次年度の営農資金には届かないが、満足すべき結果というべきだ。
 9月14日昼過ぎから急に気温が下がり霜の恐れが出てきた。コーヒーは蕾をつけて来年の豊作を告げているが、今霜にやられたら蕾は全滅だろう。全くの時季外れの霜、それも開花間際にとはなんという不運だろうか。来年こそはと張り切っていたのに……でも自然の働きだから仕方がない。「せめて被害は最小限にとどまる様に」と神仏に祈り、まんじりともせずに夜を明かす。
 畑に恐る恐る行ってみれば、辺り一面真っ黒に焦げていた。万事休すと観念し、少し高いところに目をやった。

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