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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=42

 しかし、外の人もやっていることだし、自分たちにも出来ぬはずはない。いかなる商売にしろ、人様に劣るはずはないとの自負はあった。
 「バールをやったら。今売り物になっているし、素人にだってすぐできる」。そう盛んに進める人もいたが、「ピンガを喰らってぐずる男達」の相手をする気はない。それに商そのものが小さく、家みたいな大家族を養うには不向きだった。「しばらく休んで様子を見るつもりだから」と、断っていった。15日位ぶらぶらと町の様子を見ながら物色していた。ブラジルに来て10年余りになるが、戦時中に過ごしたバーラ・ボニータの2年足らず以外はドゥアルチーナ周辺、30キロ内外で暮らしていた。
 ドゥアルチーナという町は小さく、中央のアベニーダ(大通り)だけで、目ぼしい店も街角街角に20店そこそこがあるだけ。
 さて、町に格好の物件がないとなれば、もともと子供の教育が目的だったので、バウルー、あるいはガルサに行く事も……と考え始めたときに、耳寄りな話が舞い込んできた。アベニーダの中央にある呉服店が売りに出ているという。在庫品も含めて480コントを現金払いで要求しているそうだ。場所は目抜きの一等地、交渉の価値ありと兄貴と下見に行くと、品物は店にぎっしりと積んであり、素人目には行き詰って売りに出したようには見えない。
 しかし相手はトルコ人。煮ても焼いても食えぬ人種だと聞いていた。余程調べなければ、どんなからくりがないとも限らない。経験がないのでここは早とちりせず、じっくりと調べる事にしようと決め、どういう方法で調べるべきかと兄貴と一緒に考えた。そこで兄貴が「ガリヤで義兄が永く商売をやっている。福永さんというが、そこまで行って相談してみよう」と、早速ガリヤに出かけた。物には全て順序というものがある。やはりその道の先輩に相談し、考えを聞くのが順序という。福永さんに会って、事情を説明したら、「心当たりの人がいるので明日連れていく。」と言われ、その日はそのまま帰って来た。
 翌朝早く福永さんに連れられて来てくれたのは、アバレー育ちの二世の青年で、彼のおやじさんは棉作で儲け、商売をしていたが成り行きが思わしくなく、結局やめてしまった。青年は商業学校を出て、資本稼ぎの為、呉服屋で働き、小さい店を始めた。だが、小資本では品揃えが出来ず、大きい店に太刀打ち出来ず、そこもとうとう閉めてしまった。それで現在はブラブラしている状態なので役に立てたらと快く相談に乗ってくれた。
 聞けば、ドゥアルチーナに家を買って、おやじさんと一緒に暮らしているそうだ。例の店も知っているらしい。申し遅れたが、その青年は40歳位の独身で、山口さんという。自慢も法螺も吹かないし、意外に硬派な青年で、いい具合に商業学校で法律の授業もあったので、その面でも明るいらしい。
 翌日、直接交渉に入った。昨日の話でその店の事は知っていると言っていたが、店主とは顔馴染みらしく、話が早かった。先ず商品を見せてもらい、よく見ながら記帳していた。こちらは店は前から見てはいたものの、反物の種類の多さに圧倒され、それらの名前を覚えるのに苦労するだろうという思いにふけっていた。
 店は4枚ドアで正面10メートル、奥行き6メートルといった所か。店主はセーミ・サバギ一寸足りぬ様な顔つきのラメス。外に店員のマリオ、それにジョゼ。忙しい時には店主の奥さんも手伝いに来るそうだ。

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