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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=25

 1942年3月も、もう何日かで終わろうとしていたある日、昼食の後の一休みから「さあ、もう一仕事だ」と立ち上がろうとしたその時、けたたましい馬の駆け足が聞こえた。
 その瞬間、不吉な予感が心を掠めた。10歳になったばかりの稔が裸馬から泣きじゃくって飛び降りたが、泣いて、震えて、声さえ出し切れない。みゆきが抱きかかえて水を飲ませ、胸をさすってあげながら「どうしたの」と聞くと、泣きながらもようやく話し出した。
 三台のジープに乗った兵隊が入り口のドアを蹴破り、驚いた母を銃の台尻で突き倒し、佛様の下にあるものを引っ張り出し始めたので、早く皆に知らせようと馬に飛び乗ったとの事。母が手荒に扱われたのが「一番恐かった」とまた泣き始めた。
 子供の前で母親を突き倒すとは…。最後まで話を聞けず、全てをほったらかしにして家まで走って行った。着いたら10人位の兵隊に囲まれ、「銃はどこだ」と口々に怒鳴られるばかりだった。正直にジョゼさんに預けたと話した。家には一丁もない、家中探してもいいからと言いながら、母が心配で家に入ろうとしたら、前からは道を塞がれ、後ろからはいきなり銃の台尻で突き倒され、立ち上がることさえ出来なくなった。
 無力と悔しさで泣き崩れてしまった僕たちの前で、佛様や神棚を蹴飛ばし、見た目の綺麗な日本品は一つ残らず箱に詰め込み、ジープに乗せて行った。隊長らしいのがカバンの中に大事に入れたのは、誠兄さんが最後に送ってくれていた軍服姿の写真と父の久留米歩兵48連隊の色あせた写真だった。あたり一面、足の踏み場もない状態になっていた。すでに50代に達していた母は、未だに立ち上がれなく、痛そうに床の上で倒れたままだった。
 あの頃の50代と言えば、苦痛多き人生を辿って来ただけに、今の70歳代ぐらいの人に比べられるほどだった。母の介抱と憤怒に打ち震える50を過ぎていた父。おやじに若しもの事があったら……と、二重の心配にもかかわらず僕の心は悔しさと憎しみに覆われていった。
 「何で、何で、こんな非道な事をするのか。そんなに日本が憎いのだったら、兵隊を集めて日本まで行って攻め込めばいいじゃないのか。一介の百姓いじめがブラジルの誉れになるのか。兵隊なんかじゃない。ただの泥棒どもだ。生活に使っているような物まで、根こそぎ持っていきやがった。それで充分じゃないか。倒れている老婆を見てなんとも思わないのか。本当に同じ人間なのか」。
 そんな思いが涙となって溢れてくるが、気持が一向に治まらない。兄貴も弟たちも無念涙を呑んでいる。きっとみんなも悔しさをむき出しに飛び掛って殴りたい思いでいるのだろうが、相手は10人で銃を持った野蛮人。ここで殺されたら犬死だ。いつの日にか仇は討ってやるぞと心に決めて、先ずは母の手当てだ。
 まだその辺を探りまわっている兵隊どもにもかかわらず、母をいたわり部屋に連れて行ったらカーマ(寝台)もひっくり返されていた。これじゃあ親父の虎の子もごっそり持って行かれたに違いない。でもそれどころではない。母をコッション(マットレス)に横たえて、痛めつけられた腰の手当てに取り組んだ。
 お湯を沸かして温める他には方法がなかった。しばらく睨み合っていたが夕暮れ近くになって、戦利品に満足したのか兵隊の格好をした泥棒たちがようやく帰って行ってくれた。

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