ホーム | 連載 | 2014年 | コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子 | コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(6)=ダブルの生ビール――ドイツ移民

コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(6)=ダブルの生ビール――ドイツ移民

戦前のサンタイフィジェニア街(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

戦前のサンタイフィジェニア街(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

 ベネジチニョス(サンベント)修道院のドイツ製の時計、――時を告げる青銅の鐘が11回鳴る――そのころ夜の幻想がやってくる。天使のようなストラスブルゴの辛抱強い職人たちの魂が、ビザンチン様式《註=ビサンチン帝国(東ローマ帝国)で流行った建築様式》のサンベントの教会から真鍮の音符と――11回の青銅鐘の長い響き――となって飛び立つのだ。そしてあたふたといってしまう。
 教会と教会をむすぶ指輪の弧のような橋桁に支えられた灰色のロマンチックなサンタイフジェニアの橋をすりぬけていく。彼らの魂は今年初めての秋の寒気に一瞬立ち止まり、眠りと眠気のなかを、単調にゆっくり、舞いながら降りてくる。サンタイフェジェニア街を横切るビトリア街やグスモン街の低い屋根の上を、ノドをならしながら伝い歩く猫のように静かに下りてくる。
 そして、おかしいことに、あの低く低く流れてきた病的な旋律が、そこからまた昇るようだ。開放されて、揺さぶられ、小さくなって上っていく・・・登っていく。
 周りをまきこみ、揺さぶりながら上昇する響き。まるで貝殻のくぼみに振動する響きのように。
 ピアノ、またピアノ、そしてピアノ。まるで世界中のピアノが集まったように。低い軒並みのバーの街が全体ひとつのシンフォニーとなる。ドイツ・ワルツのオペレッタ。舞台の上では燕尾服と軍服の音が、丸い糸だまを解くように回っている。
 軒を連ねたバーの街。ピアノの街。ドイツ人の街。生ビールの街。バーごとにピアノ。ピアノごとにドイツ人。ドイツ人ごとに生ビール。それからダブルの生ビール。ダブルもいいとこだ。20杯の生ビール。人気のない長い路には丸いガラスの広告塔の灯り。ピアノに託す夢。別の路、別の灯り。別のピアノ。別のバー、街路、街灯、ピアノ、バー。

 夜の街。幽霊のように夜だけ存在する街。われわれ、人間どもが、決して昼には見たことがない夜に生まれ、夜に生きるピアノと生ビールの街。それは見たことのないイギリスの王様ヘンリ八世のようなものだ。また16世紀の画家ハンスの筆から生まれた、福々しいヤコブ・マイヤー《註=画家ハンス・リヒターの描いた肖像画》のようなもの。
 それから画家アルブレヒト・デューラーが磨かれた銅版に書きなぐった黙示録の「死の騎士」や「メランコリア」に描かれた怪物たち。ホッフマン《註=Ernst Theodor Amadeus Hoffmann ドイツの作家作曲家。現実と幻想が入り混じる特異な文学世界》の「夜景集」に書かれた狂気の悪魔たち。
 また「黒い森」の地下に住むニーベル族の霧の子どもたち、やわらかいキノコの下で笑みを浮かべるヒゲ面の小人のようなものだ。

 これらは夢想、幻想、文学夜話・・・か、って? いや、ちがう。みんな、昼間その辺で働き、夜になったら、このバーが軒を並べる街にやってくる連中さ。平和を愛し、詩心をもって暮らしている・・・花屋、音楽家、写真屋、骨接ぎ屋、絨毯屋、マッサージ師。生業を大事にし、生き方を知っている・・・それぞれ、時があるのを知っている。金を稼ぐ時、金を使う時、まじめになる時、哄笑する時、それぞれの時をわきまえている。哄笑する・・・軒を並べたバーが立ち並ぶ街で。
 バー。遠くから学生たちのマーチ「ハイデルベルグで、わたしは愛を失った・・・」
 遠くから金髪のボーイが白い制服で、戸口に立っているのが分かる。中には小さな四角のテーブルが、菱形に塗られた仕切りの間に見える。壁は男の背の高さまで(高さ2メートル、周辺15メートル、昔のプロシア様式)木材を模して塗られている。上は漆喰い塗り。(つづく)

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