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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=31

 人に聞いて行けたとしも、おそらく降りるのは松岡宅に遠いバス停であり、そこから帰れないのではないかという心配が頭に浮かび、大きな街路樹の覆い繁った高級住宅街の夜道を歩くことを考えただけでもゾッとした。私は時代と熊五郎に教えられたバスに何とかして乗りたかった。
 「この国の夜は恐ろしいのよ、日暮れに外に出ていると、夜の女と思われるよ」。そう春子にさんざん聞かされていたので、暗くなった街のバス停で焦りに焦った私の不安は、とっぷりと暮れた空と同じ色になってしまった。
 乗り合いタクシーのことは聞いていたが、一度も乗ったことがなく、しかも一人で乗ることに不安であった。しかしもう決心するしかなかった。
 「ロタソン、ロタソン」と客寄せをしているタクシードライバーに、
 「アルト・ダ・ピニェイロス」と次つぎ聞いた。というより、その行き先のみを私から一方的に言うよりほかなかった。ようやく乗れたが、そのロタソン内は中年の男性ばかりであった。気の強い私もさすがにたじろいだが降りなかった。
 ブラジル語を話せない事は一見して分かるらしく、私に向けられている中年男性達の目は優しく思えた。私の方もその人達を一見して上品だと感じた。アルト・ダ・ピニェイロスは高級住宅街であり、そちらへ行くこの人達は高級車を乗りまわしている程でなくても、それなりの暮しをしていて、教養も身につけている人達だったからだろう。とはいえ、中年男性達がツルマ(仲間)でドライバーと組んでいたら、私は飛んで火にいる夏の虫だったかも知れない。帰りついた私に春子は、
 「まあ、この娘はゾッとすることを。蛇におびえん何とかじや、知らんほぞ強いものはないわ」と言った。
  ロタソンから一人ずつ降て最後に降りるのは私なのに、それすらわからず不安な思いでいた。最後の中年男性が、降りる前に、
 「アルベルト・ファリア通りは近いからこの娘の代金は自分が払うと言い、私には、
 「ボッセー ノン プレシーザ パガール」(貴女は払わなくって良い)と言ったのだが、私には通じるはずもなく、分らないまま相手の顔を見ているばかりだった。
 この一九六六年頃は現在よりもまだまだ良い時代だったのかもしれない。この時は、幸いにして運転手も正直で、料金を私から受け取らなかったし、こうして無事に松岡宅に帰る事ができた。
 そのあと経済事情は、ハイパーインフレと呼ばれるまでに悪化するばかりで、タクシードライバーの中には十センターボでも多く取ろうとする者が多い。

 第九章 まざまざと見たもの

  熊五郎の入っていたペンソン(下宿)は、男性はタグア通り、女性はコンデ・デ・サンジョアキン通りに分かれていた。熊五郎の話では両方とも、主に地方から出てきている日系の学生や、サラリーマン男女を対象としたペンソンで、彼の住むタグア通りの方に、一世は彼ともう一人の銀行員男性、他は二世たちとのことだった。一部屋に二人ずつ住んでいるそうで、食事はペンソンの主夫婦のいる女子寮で一緒に摂るとのことである。外から食事だけに来る人もあり、その中に技術移民できた同船者二人がいる事も熊五郎の話から知った。
 サンパウロに来た私のニュースは、この二人からさらに市内に住む二人の同船者に伝わり、松岡春子宅での三ケ月間の居候生活を終え、小さいお兄ちゃんと呼んでいた同船者の先輩を紹介され、さらにこの先輩の早稲田大学出のある駐在員社長宅に、私は勤め先を紹介してもらうことができ、住み込みのお手伝いとして働くことになった。

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