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9月 2015の記事一覧

11日に記念フェスタ=ルーテル教会50周年

(左から)佐野アリセ、ルイス・メロ、徳弘牧師、マリア・ヤマサキ、佐藤ルイスさん

 サンパウロ日系福音ルーテル教会(徳弘浩隆牧師)が創立50周年を記念し、10月11日午後4時から同教会(Rua Pandia Calogeras, 54, Liberdade)で記念フェスタを開く。午後9時半まで、入場無料。 日本移民の心のケアを目的に、本部スイスと米、ブラジルのルーテル教会が資金を出し合い、50年前に設立された ...

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『蜂鳥』

 句集『蜂鳥』326号が刊行された。 「蜂鳥集」より3句、「早春の明るき部屋に招き猫」(青木駿浪)「巣ごもりのケロケーロさけ耕せり」(酒井祥造)「後絶たぬ世の争ひや終戦忌」(上田ゆづり)。「旅吟 リオの遠景」(関山玲子)、「移住船の思い出」(富岡絹子)、「消えゆく日本語」(五味国夫)ほか。

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かるた会定例会、4日

 コロニアかるた会(橋浦行雄代表)が4日昼12時半から、鳥取交流センター(Rua Dona Cesaria Fagundes, 323, Saude)で定例会を開く。会費は一人5レアルで一品持ち寄り。

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大耳小耳

 沖縄県公式HPの「海外沖縄県人会名簿」によると、その数は88団体に上り、欧州、オセアニア、アフリカにまで及んでいる。移住者の多かった北米では子弟たちが中心となり、なんと53団体が結成されている。興味深いことにブラジルは名簿上、県人会本部とカンポ・グランデ支部の2団体のみ。北米はバラバラに活動しているので登録数が多く、ブラジル ...

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死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(9)

ビラ・カロン地区に定着した知花真勲・恵子夫妻とその家族

 しかし、言葉もうまくできないし、事情もつかめず、商売のやり方もままならず、結局やめて別の食品店に転業した。それもうまくいかず途方にくれているうちに、やはり自分は自分の「ティージェーク」で身を立てるしかない、ということで看板屋をはじめることにした。 こうしてビラ・カロンのアベニーダに開店した。開店まもない頃、カンポ・グランデから ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(43)

博打と拳銃 ところが、この斉、町では博打ばかりしていた。70コントス負け、兄から貰った20アルケーレスの土地を渡してしまった。後年のことになるが、サントスへ行って400コントス負けたことがある。が、顔色一つ変えず小切手を切った。相手の方がオロオロしてしまった。もっとも一方で、1千コントスで買ったカフェザールを、右から左へ倍額で売 ...

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オーリャ!

 インターネットを使ったテレビ電話が一般化し、語学学習のあり方も変わってきた。最近サンパウロ市の語学学校CNAが興味深い授業を始めた。英語を学びたい生徒が、米国の老人ホームの高齢者とテレビ電話で話すのが特徴だ。 通常のネット語学学習には見られない、心のつながりが上達の秘訣だという。お年寄りには孫のような話し相手が、生徒には温かく ...

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「平和をつくる者は幸い」

 フランシスコ法王の米国訪問は、27日開催のフィラデルフィアでのミサで終わった。飛行機に乗り込む直前の別れの挨拶では、9・11を記念したグランド・ゼロ訪問が最も感情をゆすぶったと語ったという▼米国の前にキューバを訪れた際のミサの中では、コロンビア政府と同国革命軍に和解を呼びかけたため、双方の間の和平合意が大きく進展した。それに、 ...

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戦後70年と言うけれど=イタペチニンガ 佐瀬妙子

 1945年7月も終わりに近い朝、私は母と裏庭にコンロを出して非常食用の大豆か米を炒っていた。その時、裏の木戸が開いて誰かが入って来た。振り返ると兄だった。兄は中学4年の時、海軍甲種予科練習生として入隊。筆まめな人で、各地に転勤になるたび葉書をくれた。 つい1週間前、中国の青島航空隊から元気な便りが届いたばかりの兄が突然現われ、 ...

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衣服と朝のひと時=イビウーナ 瀬尾正弘

 私の起床は毎朝5時である。床から出ると先ず窓を開け、今日の天気はどうか空一面を見て雲の様子など眺める。まだ少し暗いが…。冬場は外温が何度あるか確認して、作業着の上、下着など決めて着服する。天候に異変がなければ毎日ほぼ同じ様な衣服だ。 しかし冬場は毎日の温度差が大きく、ズボン以外は一定ではない。ことに私の住むイビウーナ地方は、冬 ...

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