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パナマを越えて=本間剛夫=13

「エメボイ農大の入学試験は、後二週間ほどです。募集は四十人ですが、もう全国から百六十人ほどの願書が来ています。あなたも、今、ここで願書をお書きなさい」
 私は早速願書を書いて差し出して、試験当日上京して受験した。
 自信はなかったが、一週間ほどして合格の通知が来たとき、これで、わが人生の行路は決まったという思いで毎日が明るく、六月、神戸出帆のラ・プラッタ丸で日本を離れた。
 中・南米諸国の学校の新学期は九月だ。日本とシナとが戦争を始めたというニュースを聞いたのは、その頃だった。ブラジルの新聞は時どきシナ大陸の戦況を報じたが、勉強に追われて殆ど無関心の状態でいたが、戦争が世界中に拡がるらしいなどと学生仲間から聞かされると、日本からの学資が絶えるようになったら、と悩むこともあった。
 そのせいではないが、もし、そんな事態になったら、自ら学資を稼がなければという用心のために、急いで帰化手続きをとった上で中等学校の物理、化学教師の検定試験を受けたりして自活の自信をつけた。
 帰化しても所管の日本総領事館に日本国離脱の手続きをしない限りは、依然として私は日本人なのだ。
 日本から考古学と地質学の専門家がきたのは丁度その頃である。その調査団を呼ぶ斡旋はミナミ氏によるもので、その通訳に私を選んだのはエメボイ農大の英人教師だった。その他にも毎月のように通訳のアルバイトが舞い込んで、小遺銭に困ることがなくなった。
 その頃から私とミナミ氏との接触が始まったのだ。
 調査から帰った私は、週に一度は彼の家に招かれて夕食を馳走になった。夫人はポーランド人だが、夫妻ともよく日本語を話した。そして、話題は、いつかアメリカとイギリスの中南米に対する巧妙な懐柔政策に触れて、落ちつくところはアングロサクソンに対抗するには有色人種国の地位を高めること、それには教育制度を早急に確立することにあると落ちついた。
 その趣旨は私にも理解できた。ブラジルへ着くまでに経て来たシナやマレー、インド、アフリカなどの港々が、悉く彼らの租借地か植民地だった。
 しかし、私はミナミ氏が何を考えているのか、掴めていなかった。

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 船長の言葉は、いちいち私の意表を突いて理解に苦しんだ。
「日本の調査団の報告のあと、続いて英国の調査団がやって来て調査を続けたのです。その時はあなたは参加しなかったのでご存じないでしょ。その翌年、石油鉱脈とダイヤの山が発見された。それは、まだ、どこにも発表されていない。彼らはこの二つの発見を伏せてしまったんですよ」
「なぜ? 彼らの功績じゃないですか」
 私は船長の言葉が信じられなかった。
「国際関係というのは、そう簡単に割りきれるものじゃない。ただ、あなたたちの第一回調査のあと、英国が鉄道敷設を始めた。何億ドルという資本投下が何を意味するか。見返りにブリティシュ・ダイアモンド研磨会社がダイアの山を、グルペンが石油鉱脈を押えた。これでお分かりでしょう」
 そこで船長は言葉を切って葉巻に火をつけた。

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