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パナマを越えて=本間剛夫=35

 護送兵にしても、少年のように小柄な(病気でなければ、美少年のはずの)初々しい仲間の哀願をふり切って去ることができないでいるのだ。私も患者の憐れな姿を見ると、隊の事情が許すならば、患者の希望をかなえてやりたいと思った。しかし、それは例外の計らいだ。
 「暫く待ってなさい」
 私は護送兵を伴って医務室にとって返し、三浦軍曹に事情を説明して意見を求めた。軍曹は腕組みをしていった。
 「お前の農耕班で、一人の患者の世話ぐらいできんのか……。ここは手一杯なんだ。病人なんてものは、まわりの患者の心遣い一つで、良くもなり、悪くもなるんだ。帰って隊長の考えを聞いて来い。一応、今夜はここに泊めてよかろう」
 珍しいことだ。私ははじめて三浦軍曹の人間らしい声をきいた。この言葉を護送兵からの貢物を受け取った弱味からと勘ぐるのは、私自身を辱めるものだ。三浦軍曹が姓悪でない証拠を護送兵も知っただろう。
 「隊で死なせてやれ」と怒鳴りつけたその言葉の底に、三浦軍曹の真実の愛情が秘められているのかも知れない。護送兵がそう考えてくれることを私は望んだ。
 「はい。分りました。隊長どのの許可を貰って明朝、引取りに参ります」
 護送兵は挙手の礼をして奥に戻って行った。その後姿に吐き出すように軍曹は独言を云った。
 「あんな、可愛い坊やを入院させるなんて、ひでえ奴らだ……。」
 私は何かいおうとして声が出なかった。ひでえ奴は軍曹自信ではなかったのか、その軍曹の口から、今日、突然、善良無比な、神のような言葉が飛び出すのだ。これは、どういうことだろう。人間の心理の深い壁の中にたたまれた本性から、時として善が、あるいは悪が表出される微妙な作用、個々の異なった性格に投影する対象の大小、強弱に左右され変化するというのは人間共有のものではあるまいか。
 三浦軍曹は、彼自身も認識しない、彼の心の深層に沈む心理の壁に伝わる投影を冷静に受け止められず、咀嚼もできず、直裁的にそれが悪魔の言葉として、時として神の言葉として表出されてしまうのだろう。実はそれは弱者なのだ。強者はどのような対象も咀嚼して呑みこんでしまう。私ははじめて弱者としての三浦軍曹を理解したと思った。
 時計を見るともう十一時を過ぎていた。患者に食事を済ませて命令受領に出発しなければならない。患者を納得させた護送兵も司令部の方向に帰る。私は同行することにした。司令部まで地下壕は通じているが、曲折していて時間が地上の二倍はかかる。「三浦軍曹どの、福田兵長は只今から命令受領のため、師団司令部に行って参ります」
 私は軍曹に申告して壕を出た。
 護送兵の農耕地は司令部を更に下った西海岸の砂まじりの波打際にある。地上は敵機に体を曝す危険はあるが、暗いじめじめとした濠の生活から、一日のうち一度は明るい日ざしの径を歩きたかった。径といっても通いなれた靴跡がかすかに草むらについているだけのものだ。できるだけ身を匿すために、枝葉の茂みの下を選んで坂を登らなければならない。
 敵機が去って、もう一時間近くなるだろう。三、四時間は安全のはずだが、油断はできない。敵は東方から海面すれすれに来るから爆音が聞こえない。聞こえたときにはもう頭上に来ているのだ。

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