樹海

マチュピチュ(Martin St-Amant - Wikipedia - CC-BY-SA-3.0)

マチュピチュ(Martin St-Amant – Wikipedia – CC-BY-SA-3.0)

 マチュピチュといえば、『訪れたい世界遺産』でダントツの人気。当地でも「行く、行った」とよく聞く。〃空中都市〃だけに麓に訪問拠点となるマチュピチュ村(旧アグアス・カリエンテス=温泉)がある。その初代村長は日本人だった▼1895年、福島県生まれの野内与吉氏がその人。南米での成功を夢見て、17年にペルーに渡り南米各地を転々とした後、クスコ―マチュピチュ間の鉄道敷設に携わる。29年の完成後も留まった野内はその器用さで、機械の修理はお手の物、川の水を引き畑を作るなど村人の尊敬を集める。現在観光客が疲れを癒している温泉も、森林伐採時に沸いたとか。35年に初のホテルを建設。郵便局や交番、裁判所に無償提供し村の発展に尽くした。その貢献を買われ、村長に就任した▼移民50年祭の臨席でブラジルを58年に訪問した三笠宮殿下がマチュピチュを訪れたさい、娘が花束を手渡したニュースで郷里にその活躍が知られ、半世紀ぶりの帰国を果たすも翌年、ペルーに戻った2カ月後にその生涯を閉じた▼今回、子孫によるレストラン「AIKO」の訪問も楽しみの一つだったのだが、かつてホテルだった扉は閉じられたまま。近所の数人に聞くと「閉めちゃったようだね」。ホテルを併設していたシネ・ニテロイを中心にリベルダーデが発展したように、マチュピチュ村もホテル・ノウチが中心だった。「消えた移住地を求めて」(小笠原公衛著、人文研刊)によれば、記念館にし、銅像を建てる計画もあったようだが…。インカ帝国の神秘に奪われる心の隅に忘れず置いておきたい日本人の歴史だ。(剛)

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