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パナマを越えて=本間剛夫=69

 私は中尉と話したかったが、機会がつかめずに焦っていた。通訳として私を転属させておきながら、司令部は二人の所在を匿している。
 数日たったある朝の点呼のあと、私はぼんやりと広場を眺めていた。その時、粟野中尉がいつもになく急ぎ足で壕に入って来るのが見えた。庶務室には幸い私一人だった。チャンスだ。
「お質ねしたいことがあります」
 中尉は他に誰もいないのを見ると私の前の椅子に掛けながらいった。
「捕虜のことは連合軍に通報してある。司令部はあの二人をどうすることも出来ない」
 中尉は奥の方を覗き見るようにした。
「他言は無用だよ。副官殿は米軍は日本の降服後も本当の兵隊を殺戮した。それに対する報復だというのだ。そんなことのないよう説得しているのだが」
 やはり私の不安は当たっていたのだ。しかし、中尉が捕虜の存在を連合軍側に通報しているとすれば副官も科長も手も足も出ないだろう。外部との連絡が粟野中尉の手に委ねられている。中尉は今、島最高の指揮者であり、権威者になっていた。
「連合軍は日本の処理をどう考えているのでありますか」
 それは私がブラジルへ帰れるかどうかの一身にかかることだ。
「アメリカ国務省に戦後外交を検討する特別調査SRというのがある。その中に東アジア班があって、その会議の模様が刻々と入って来る。今、アメリカは最も紳士的だ……」
 エリカたちはまだ安全とはいえないのか……。中尉の人柄と、中尉が今置かれている地位が絶耐の実力者となっていることを知りながら、私にはまだ不安だった。
 その時、科長と下士官が連れだって外から帰って来た。
「お待ちしていました」
 そういって中尉は科長と奥へ入って行くと
「何か、耳よりな情報はなかったのか」
 下士官が探るような眼を私に向けた。
 科長と下士官が朝食前に外から帰って来るというのは考えてみれば不自然だった。どこから帰って来たのか。この下士官がエリカたちと接触しているのかも知れない。
「……別に」
 私はそう答えてから、今まで抑えていた質問をした。
「軍曹殿、二人の捕虜たちはどこにいるのでありますか」
「さあ、俺も知らんのだよ。いや、知らんということになってるんだ。科長殿の命令だからな………」下士官は口籠った。
「軍曹殿が逃亡兵を先に捕まった兵の所へ連れて行かれたのでした。ご存知とおもっておりました」
「だから、知らんのだよ。これも命令だ……。お前が病棟の上の崖でみつけたんだってな。でも、あの女たち、そう永い命じゃなさそうだぜ。お前は通訳として転属して来たのに一度も話ができないのは残念だろうが……」
 私は驚いた。
「永い命でない、というと……?」
「そうじゃないかお前、米軍は終戦後も我々を攻撃して死者を出してるじゃないか。向こうがそうなら、こっちだってやるさ」
「それは副官のお考えでありますか」
「さあ、よく分らんが、おれは、その道理は間違っているとは思わんよ。もっとも連合軍が上陸してそのことを知ればただでは済まんと思うがね」

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