ホーム | 日系社会ニュース | アンシェッタ島に平和の像を=戦後70周年と統合の象徴=血塗られた歴史に〃光〃を=ウバツーバ市長が提案
2日にアンシェッタ島を視察した一行
2日にアンシェッタ島を視察した一行

アンシェッタ島に平和の像を=戦後70周年と統合の象徴=血塗られた歴史に〃光〃を=ウバツーバ市長が提案

 日伯外交120周年と終戦70周年を記念した「平和のモニュメント」をアンシェッタ島に作りたい――聖州北部海岸部のウバツーバ市の諸見里マウリシオ市長(50、三世、PT)が、新アイデアを提案している。戦前から脱出不可能な監獄島として政治犯や凶悪犯が収容され、終戦直後には臣道聯盟員ら170人も送られ、さらに伯国史に深い傷跡を残す死者118人の刑務所暴動が起きた地という血塗られた歴史を持つ。そこを逆に「平和」や「社会統合」を象徴する場所に生まれ変わらせて観光名所にするという日系市長ならではの奇抜なアイデアといえそうだ。

諸見里マウリシオ市長

諸見里マウリシオ市長

 「日本移民のブラジル社会への貢献に光を当てるような証、世界に今必要とされている〃平和を祝う〃または〃衝突に和解をもたらす〃象徴をアンシェッタ島に作りたい」。6日夜に来社した諸見里市長は、そう熱く語った。
 1946年から2年余り臣道聯盟関係者170人が収容されたあと、52年6月に大暴動が起きて118人(囚人110人と看守8人)が死ぬ惨劇となり、伯国史上、最悪の刑務所暴動として国際的に問題視され55年に閉鎖された悲しい歴史がある。
 「実は私も『コラソンエス・スージョス』を読んで初めて、日本移民と島の繋がりを知った」と振り返る。64年に聖州ノロエステ線アンドラジーナで生まれ、父は沖縄系二世だが、母が非日系だった関係で当時の地元日本人会に入会できず、幼少期には日系付き合いは少なかったという。
 でもテニスを通じて徐々に増え、リオ州にあるジュイス・デ・フォーラ連邦大学歯学部を卒業した後、聖市にも特別歯科研修を受けて開業するなど8年間住んでいた。その間に日系の繋がりも増え、95年からウバツーバ市に移転し、2005年にはウバツーバ日伯協会(ANIBRA)の創立者の一人になった。同協会は移民100周年の08年から「日本祭り」を開始し、日系活動を活発化させている地域だ。
 奥原マリオ純さんと聖州環境局の大城サネナリさんが平和像原案を同市長に提案し、2日に10人の視察団を組んで島を見に行った。市長に加え、観光局長、公安局長、アドリアーノ・ジョーゴ元聖州議らが赴いた。
 6日に在聖総領事館を訪れ、同地日本祭りを120周年記念事業に認定するよう依頼した。「市長という肩書きは一時的だが、このモニュメントは一市民として重要だと痛感する。このプロジェクトは実現に向けた最終段階にある」と強調した。

【大耳小耳】関連コラム

 昨年6月には8日間、ウバツーバ市中学校の生徒12人が、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に訪問する機会があり、諸見里市長は「とても良くしてもらったと聞いている。日系としてとても誇りに感じている」と強調した。05年に創立されたという日伯協会は実は〃再興〃。同地の日本人会は60~70年代に盛んだったが、デカセギブームが起きた90年代以降にいったん火が消え、移民100周年を前に二世が作り直したのだとか。地方でも日系の新しい流れが生まれているようだ。

image_print

こちらの記事もどうぞ